超巨大企業東京電力に屈服した総理官邸

3月11日(金曜日)に宮城県沖で起きた大地震は死者だけでも1万人になろうかという大災害に発展した。地震での直接被害もあるが大津波の被害が重なったことが被害規模を未曾有の大きさにした原因である。

この災害は一般民家や工場施設を襲ったが、同時に福島県にある原子力発電所施設をも襲った。その結果、発生から6日間過ぎた現在になっても福島第一原子力発電所の4つの原子炉が極めて危険な状態に陥ったままであり、状況は日を追うごとに逼迫の度合いを増している。

1986年、旧ソヴィエト連邦で起きたチェルノブイリ原発メルトダウン事故は、その後ソヴィエトという国家体制自体をも崩壊させるほどの巨大事故で、その影響を鑑みると人類が経験した最も悲惨な人災の一つである。またその7年前の1979年、米国のスリーマイル島での原子力発電所事故も結果的に人への被災は最小限に抑えられたが、多少のツキがなければチェルノブイリ級の巨大災害になったと後年評価されている。

そして今回の福島原発事故は当初スリーマイル程度かそれ以下と思われていたのだが、今やスリーマイル以上チェルノブイリ以下という災害度にアップし、チェルノブイリ級になる可能性も充分秘めた状態であると海外メディアを中心に報道されている。贔屓目に見ても、福島原発周辺で生活していた住民には今後被曝による健康被害が表れる可能性があり、その周辺は永遠といってよいほどの長期間、人の立ち入りは原則出来ないことになるのだろう。

僕は原子力発電などには門外漢もいいところで、どちらかというと原子力発電そのものにも積極的に否定はしてこなかったような人間である。資源がない日本という国で、原子力によって発電を賄うというシステムはリーズナブルに思えたし、政府や電力会社の言う「絶対安全」という保証もあって、必要悪として認めるしかないか、と思っていた。

しかし今回の事故を受けて、テレビやネットなどで原子力発電のシステムの詳細が説明され、その安全に対する基礎部分が驚くほどの楽観論に支えられていることを知り愕然とした次第である。もう二度と原発を容認する立場に戻ることはないだろう。日本にある原発の全てを一気に他の発電方式に振り替えることは無理であっても、新しい原発を作ることなどしてはならないし、また他の発電方式に転化して大丈夫な地域があればどんどん現在稼働中の原発を停めていくべきだと思う。

さて、このような原発事故という未曾有の大災害に対して、国民を指揮・指導すべき総理大臣や官房長官であるが、その内容たるや散々なもので、とても正気の沙汰とは思えない動きをしでかしていた。最初に結論を書くと、菅首相も枝野官房長官も、国民の生活を守ることよりも東京電力という巨大企業の対面や保身を重要視したと言わざるを得ない、と思っている。

菅首相は災害翌日の朝、現地視察と称して福島第一原発を訪れ、その結果災害修復作業が6時間ほど遅れてしまったとの見方がある。それにも懲りず、後日もう一度視察を行おうとしたところ、流石に事故原発の現場から断られてしまったらしい。プライドが傷ついたのかどうか分からないが、早朝に東京電力本社に怒鳴り込みに行ったというのだから開いた口が塞がらない。

これはリーダーとして最も避けなければならない緊急時の対応だろうと思う。本来司令塔として一箇所に落ち着き、全ての情報を精査し次々と判断しなければならない立場である。それが現地視察を行った挙げ句現場を混乱させてしまったわけだから、プロフェッショナルのリーダーとしては明らかに資質に劣るだろう。また、人を怒鳴りつけること自体、解決策にも進展策にもならないことは明白であり、いたずらに人を萎縮させるだけである。これではよいアイデアなど出るわけがない。

こういう時のリーダーは武田信玄の「風林火山」の「山」の状態、、即ち「動かざること山の如し」と、全体を俯瞰する場所で重石として機能してもらえばそれでよいのである。

一方の枝野官房長官はというと、数日間官邸に閉じこもり、深夜であろうと早朝であろうと記者会見を行い続けた。明瞭な発声で現状の認識を示し、国民に不安を与えないよう噛み砕くような喋り方はテレビの前の視聴者からも好評を博した。twitterでは“edano_nero”などといったハッシュタグが作られたり、米国の人気テレビシリーズ「24」の不休不眠で事件を解決する主人公ジャック・バウアーに擬えたり、さらには「枝野君Tシャツ」なるシャツまで急遽発売されるという珍現象までが起こった。

しかしながら、枝野官房長官の会見で発表された事象は常に後手に回ったものばかりで、しかも当初楽観論から認識された事故の報告であった。また被曝量をレントゲンに置き換えてさも問題ないような話し方をしてみたり、事故原発からの避難区域指定にも余裕を持って対処しなかったことがすぐに明らかになったのである。その結果、枝野発表を信じた住民の中には安心してしまったのか不必要に被曝してしまった人々が現れたのである。

また相変わらず、記者会見を日本記者クラブのみに限定してしまった結果、新聞も配達されずテレビも使えない被災地の人々に情報が一切届かず、これで幾つもの二次災害が発生したのではないかとフリーランスジャーナリストらは指摘している。

この枝野会見を見た当初、何か胡散臭いものを感じていたのだが、きっとそれは枝野官房長官の発言があまりに淀みなく行われることで感じた居心地の悪さだろうと思う。本来原子力発電など門外漢であるはずの弁護士出身の枝野官房長官なのだから官邸内で急遽レクチャーを受けたに違いなのである。そしてそのレクチャーをした先生役なるものは、きっと東京電力であろう。なぜなら、特に当初の官房長官会見に於ける枝野発言の内容が、東京電力の行った会見内容と酷似しているからである。

言うまでもなく東京電力は今回の原発事故での当事者である。本来被告席に座るべき立場である。その者にレクチャーを受けその通りに発言すれば、それは事故当事者である東京電力側の主張のみを垂れ流すことになってしまう。

本来官邸はこのような重大事故の際は、国内から有識者や経験者を急遽集めて対策本部を作り、当事者たる東京電力を指導・監視しなければならない。そういった手順を無視して東京電力の言うことを丸呑みしているわけだから、これは泥棒に犯罪捜査してもらっているようなものだ。それを国民に垂れ流すのだから、官房長官として無責任極まりないと批判を受けて当然だろう。このような政治家が一部の国民の人気を博してしまうというところに、日本人はあの小泉フィーバーから何も学んでいないのだろうと悲しく思うのである。

因みにこうした官邸と東京電力の保身に走った発表は海外メディアからは非難囂々の状態であり、日本政府と東京電力の言うことなど現在世界のどの国も相手にしていない。自国民だけでも避難させようと退去指令を出している国も多いのである。またIAEAなどが原発自己分析のため日本政府に詳細なデータの提出を求めても日本政府はそれに応じなかったと言われている。日本の古くからの悪弊である隠蔽体質が危機に瀕して表出してしまったようである。

東京電力という巨大企業は自民党民主党を問わず大口スポンサーであり、マスメディア企業に手交している広告料も大きいお得意様である。昔から東京電力の悪口や噂を報道すると担当者はパージされると言われていて、特に原子力発電に関したものは極めて危ない日本のタブーとされている。実際にフリーランス・ジャーナリストの上杉隆氏はTBSラジオ小島慶子のキラキラ」の中で政府と東京電力の批判を行ったところ早速レギュラーを解雇されたという。小島慶子とTBS側の発表では以前からの問題発言の結果の引責降板ということになっているのだが、それならどうして以前ではなく現在降板となったのかという疑問が生じる。この疑問にはTBSも小島慶子も答えてはいない。

今日も福島第一原発では東京電力の職員と自衛隊や警察などの懸命の、それこそ命を賭けた作業が続いている。もちろん、被災にあった人々の救出や介護も続けられているのである。その影で、官邸が東京電力の保身に手を貸している現実を忘れないでおこうと思う。
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最後になりましたが、この度、被災に会われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。同じ日本人として常に心は同じところにあります。離れた場所からではありますが、皆様の未来に向けて共に努力を惜しまぬ所存です。トニー四角。

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*1:写真は3月16日の写真。白煙を上げているのがプルトニウムを使って発電を行っていた第3原発