推定無罪の原則を無視し暴走する自民党と報道メディアの醜悪

昨年3月に始まった東京地検特捜部による小沢一郎捜査は事実上終結したのだが、新聞テレビなどのメディアによる小沢バッシングは相変わらず続いている。今朝も朝のニュースワイドショーでコメンテーターが「検察の小沢さんへの追求は一旦は終わったが、小沢疑惑はまだ残っている」などと言っていた。

また昨日の予算委員会自民党加藤紘一元幹事長が鳩山首相福島瑞穂社民党党首に対して小沢氏の政治資金問題を質問していた。自民党は今国会では執拗に検察の小沢捜査に絡んだ質問ばかりしているようだ。

僕は昨年の大久保秘書が逮捕されたときから気になって仕方ないのだが、この国のメディアや国会議員には「推定無罪の原則」そのものが欠落していると感じている。

新聞・テレビなどのメディアは特に酷く、東京地検特捜部が小沢一郎捜査を始めたとなると徹底的に小沢一郎悪玉説に便乗し、幹事長はおろか議員辞職にまで発展させないと気が済まないかのような激しさだ。しかも先日の東京地検特捜部の小沢一郎不起訴決定以降も小沢一郎は悪い奴だと一生懸命叩いている。そんなエネルギーがあるのなら独自取材をもっと充実させればいいのに、と思ってしまう。

推定無罪の原則」とは、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という立証責任の考え方に基づいた近代刑事法の基本原則である。これを裁判官側から表現した言葉が「疑わしきは罰せず」であり、2つの言葉は表裏一体をなしている。また検察官が犯罪事実の立証責任を負うという意味でもある。(ウイキペディアより部分引用)

つまり法治国家においては、裁判によって有罪と決まるまでは無罪なのである。裁判所のみが有罪か無罪かを決めることが出来るのだ。この原則を守らないのは北朝鮮やアフリカの一部独裁国のような国家だけである。それらの国には自由はないし民主主義そのものがない。強力な国家権力が国民を監視しているからだ。

一方で日本では検察が疑わしいと捜査を始めた途端に、マスコミが有罪と断罪してしまう。この異常性と恐ろしさを一体どのように表現すればいいのだろう。例え罪を犯していなくても、検察に目をつけられたらマスコミにリークされ、世間に自分がひどい罪人であると宣伝される。小沢一郎だったからそのようなバカ報道にも耐えることが出来たのだろうが、一般人なら例え無実でも社会的に抹殺されてしまうだろう。

小沢一郎が不起訴となってもまだこの件で悪人扱いされている状況は対岸の火事ではなく、いつでも誰にでも同じ事が起こることを忘れてはならないだろう。つい先日も足利事件で冤罪が認められた菅家氏と同じ状況は、この国では誰にでも起こる可能性があるのである。これは独裁国家同様の極めて危険な社会状況なのである。

この一年間の東京地検特捜部の小沢捜査において、僕が最も腑に落ちないのは正にこの部分なのだ。どうしてマスゴミは近代刑法の原則を無視して小沢悪人説をまき散らしているのだろう。自らを権力の番人であり社会の木鐸であると自認しているというのに、検察という国家権力に簡単に迎合し、推定無罪の原則すら目を瞑って乱痴気騒ぎのような報道を繰り返す。中には推定無罪は有罪ではないけれど無罪でもなく灰色であるなどと、無茶苦茶な論理を平気で言う輩もテレビには登場する。こういうバカはその瞬間に死んでしまえばよい。推定無罪は無罪であり白である。それが法治国家の原則なのだ。

マスゴミにいる人達というのは立派な学歴を持ったインテリ層のはずである。推定無罪の原則を知らないわけではあるまい。そして小沢不起訴の後もなお、まだ自らを権力の番人とか社会の木鐸とか呼び続ける厚顔無恥さは一体如何なるものだろう。タダの偏差値バカなのか、それとも確信犯なのかはわからない。しかしこの報道の状況は子供などに見せられるものではないことは確かである。

小沢一郎という政治家を叩きたければその政策を叩けばよいと思う。それを元に有権者は判断をし、選挙で小沢一郎なり他の候補者なりに投票を行う。それでよいのである。というか、それしかないのである。

今回の小沢騒動でマスコミに説明責任があるのは、まず第一にこの部分だと思う。どうしてマスコミは裁判で有罪になる前に、検察が疑いを持ったというだけで、小沢一郎を犯人扱いしたのか。推定無罪の原則をどのように考えているのか。僕は合理的な説明を聞いてみたい。

先の加藤紘一氏の話に戻るが、社民党福島瑞穂消費者行政担当相への質問、「小沢幹事長と石川議員を政治倫理審議会に出席させるべきであり、この様な議員のいる党と連立を組むことは昔の社民党では考えられなかったがどのように思うか?」との問いに、福島大臣は「まず自身が説明するべき。その後国会で決めればよい」と答えていたのだが、本当の正答は「社民党推定無罪の原則を守り、常に弱者の視線を忘れない政党であるから、検察の不起訴という決定を重く受け止めている」だったろうと思う。それを説明がどうのとぼかして答えてしまうところが社民党の情けない部分だろう。

加藤紘一氏も秘書問題で議員辞職して事実上政治生命を絶たれた過去があるにしては、その経験が何も生かされていない。ここで自分の受けた災禍を再び繰り返してはならないと、例え敵の民主党を救うことになるとしても筋の通った理を説けば評価も上がったのに残念なことだと思う。あの関東軍参謀でありながら太平洋戦争に反対し左遷させられた石原莞爾(カンジ)の末裔であるとはもはや信じられない為体である。

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