終わりの終わり。その途中の出来事である裁判。

去年の10月に、このブログで小沢一郎政治犯であるので有罪はあり得る、という記事を書いた。

小沢有罪はあり得る(2010年10月20日)

その頃には既に、村木裁判などで地検特捜部による出鱈目な捜査や捏造された自白などが白日の下に晒され、小沢一郎の無罪はおろか元秘書たち3人の裁判すら公判維持が難しいのではないかと言われていた。しかし、小沢一郎裁判というものは、権力側がその失脚を狙って仕掛けた政治裁判であり、小沢一郎政治犯であるので、証拠があろうとなかろうと有罪は先に決まっているのではないか、といった趣旨の記事だった。

今日、石川知裕衆院議員ら小沢一郎の元秘書3名が関わったとされる資金管理団体陸山会」の土地取引を巡る政治資金規正法違反事件に関する裁判の判決が出て、全員に執行猶予付の有罪判決が出された。

陸山会事件、小沢氏元3秘書に有罪判決

小沢一郎民主党元代表(69)の資金管理団体陸山会」の土地取引を巡る政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記入)に問われた同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)ら元秘書3人の判決が26日、東京地裁であった。
 登石郁朗裁判長は石川被告に禁錮2年、執行猶予3年、後任の事務担当者だった池田光智被告(34)に禁錮1年、執行猶予3年、元会計責任者の大久保隆規被告(50)に禁錮3年、執行猶予5年を言い渡した。判決は、史上最高の立件額となった約21億7000万円の虚偽記入をすべて認めた。元秘書3人全員が有罪とされ、資金管理団体の虚偽記入が認定されたことで、同会の代表者である小沢元代表政治責任が問われるのは必至だ。判決は検察側の主張をほぼ全面的に認め、大久保被告と石川被告らとの共謀も認定しており、同様に石川被告らとの共謀に問われた小沢元代表に不利に働く可能性が高い。元代表の初公判は10月6日。
 検察側は7月20日、石川被告に禁錮2年、池田被告に禁錮1年、大久保被告に禁錮3年6月を求刑。一方、3人は起訴後に否認に転じ、8月22日の最終弁論で「検察の主張は空中楼閣」などと改めて無罪を主張していた。大久保被告は準大手ゼネコン「西松建設」の違法献金事件でも有罪とされた。

最終更新:9月26日(月)14時37分
読売新聞

この裁判においては、検察側の提出した供述調書の多くが信憑性に欠けるとして却下され、その結果殆どの専門家たちが無罪或いは罰金を科せられる程度で終了するのではないかと予想していたのである。しかし、今日の判決では、何の証拠があるわけでもないのに裁判官の心証だけで有罪が決められた。

今日の判決が出た時、裁判を傍聴していたジャーナリストらから一斉にtwitterによる速報が入り、スマートフォンでそれを目にした僕は本当に腰を抜かすほど驚いたのである。そして次には吹き出してしまった。なんて茶番なんだ、と。

つまり、この裁判においては証拠すら殆どない状態で公判が行われたわけで、そこにあったのはいかにも司法取引を行った風である水谷建設の元社長などの証言だけである。このような近代社会に於ける魔女裁判のようなものに対して、裁判所が原告側に与するようなことがあると、それは露骨に司法自体が権力の走狗と化したか、或いは魔女狩りの一員であると告白することと同意である。そして今日、裁判所は正しく自身の正体を晒してしまった。

黒い権力は陰にいてこそ力を発揮しうるものであり、こうして白日の下でその醜い正体を晒してしまうと、それこそ「死」を意味するのである。司法は死んだ。これからは足掻きのたうち回ることになるだろう。

今日の判決とは、「検察は政治家ごとき何時でも逮捕し有罪に出来るのですよ」と声高に宣言したに等しい。もはや証拠も必要ではなく、ひとり裁判官の心証によりどのようにでも政治家を扱えるのである。もちろんこれは政治家だけでなく、日本にいる人間すべてがその対象である。

さらに笑えてしまうのは、こうした判決を受けて、石川議員や小沢一郎議員辞職を求めようとする政治家がまだいることである。ここで与党であれ野党であれ一致団結し、司法の暴走を食い止めなければ次は彼らの番である。彼らは司法を怒らせないように死ぬまで小さくなって暮らしていかねばならない。その程度のことにも気付かず、この判決に乗じてきゃんきゃん騒ぐことは滑稽極まるのである。

暫くブログの更新をさぼっていて、その間の政治報道などをみて感じたことを一言で言うと、日本人は本当に民度が低いなぁということであり、それは小沢一郎がよく言う「国民のレベル以上の政治家はいない」という言葉の逆の意味の解である。裁判官にせよ政治家にせよ、この程度のレベルであれば、その国の人々のレベルも推して知るべしなのである。

それ故なのか、日本という国は相当に壊れてきている。自民党政権末期にコロコロと首相が替わっていた頃は「終わりの始まり」と呼ばれていたけれど、今や「終わりの終わり」に差し掛かっているような気がしてならない。本当の終わりにはまだ少しのりしろがあるのだろうけれど、ガラガラと音を立てて崩れていくのはあっという間だろう。

僕も日本人の端くれで、もう穴があったら入りたい限りなのだが、ここまで目に見えて露骨な茶番が裁判として存在しているのを見て、僕はそっち側(権力側)の人間ではないよ、と日本という国がまだ存在している間に書き記しておこうと思う。

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