純粋政局内閣の惨めな咆吼

三浦右衛門の最後」という菊池寛の短編がある。今はネットで無料で読むことが出来る。A4の紙に印刷したら7〜8枚の短編なので読むのに時間はかからない。

この短編には「主君と家臣」や「裏切りと皮算用」や「男色」などの様々なテーマが織り込まれているのだが、それらのベースとなっているのは人間の剥き出しの欲望である。

以下ネタバレをしながら内容を紹介する。

これは織田家と武田家が激しく争う戦国時代、衰退した今川家の豪奢遊蕩の原因といわれた三浦右衛門が落ち武者となり、過去恩を売った天野刑部に助けを請うも、天野は三浦右衛門の首を織田家に差し出すことで得点を得ようとする。

「命が惜しいか」と天野に問われ「惜しい」と三浦右衛門は答える。「助かりたければ右腕を差し出せ」と言われて右腕を落とされる。「右腕一本では足らぬ」と言われ左腕を差し出す。「それでも足らぬ」と言われて今度は足を落とされ、最後は結局首を切られるのである。。

菅内閣の卑屈なまでの権力へのしがみつき方や、ポピュリズムへの安易な迎合主義を見て、思い起こすのはこの菊池寛の短編なのである。

権力にしがみつきたいが為、次から次へと大衆に迎合する。その大衆とは目に見えない世論という妖怪である。そしてその世論を揺動し形成させ最後には調査・報告まで担うのがマスゴミである。一般論として、第三者機関が責任の一端を担わない世論調査など自由に誘導できるもので信用度などなきに等しいのだが、菅内閣はそれを重んじて政権運営を行う。だから世論とそれを作り出すマスゴミに迎合する。

だから菅内閣政権運営というのはマスゴミのお気に召すような展開を予想し迎合することが第一となっている。消費税問題、尖閣諸島沖事件、日米同盟の深化、八ッ場ダム問題、柳田法相失言問題、そして小沢一郎の政倫審出席問題など、どれをとってもマスゴミの顔色を窺い、気に入られないとなればすぐに方針を転換したり、無理を承知でゴリおしたりする。

今日午後に行われた民主党役員会で岡田幹事長は衆院政治倫理審査会への小沢一郎元代表の出席を同政倫審で議決するよう提案した。しかし、出席者から反対論が相次ぎ議決の方針は決まらなかった。(Yahooニュース 産経新聞)

これは、昨年の所謂西松事件から民主党内で露骨に表面化した小沢元幹事長をパージしようという流れの一環である。その西松事件で大久保秘書が逮捕されたのが昨年の3月のことであり、もう22ヶ月も前のことである。それがいまだに決着もつかず党内で権力闘争が行われている訳だから業の深い話である。

しかも政倫審に小沢一郎を出席させ証言させようという動きに根拠がない。そのあたりを階猛(しなたけし)衆議院議員ツイッターで呟いていたので紹介しよう。

緊急一新会。昨年6月の党常任幹事会で配布された書面では、「政治家としての小沢前代表個人に対する指摘事項については、既に政治的に極めて重い代表辞任に至っていること、今後、秘書の公判が行われること等を踏まえ、(続) http://yfrog.com/gz2y4qj

(続き)その受け止めと判断は基本的には本人に委ねられるべき」との記載があることを指摘。この理屈は、小沢さんが全くの無役となり、かつ、本人の公判を控えている現時点では、より強固に当てはまるとも思われ、当時と対応を違える理由を岡田さんに説明してもらう必要があります。

(続き)その際、①予算編成や税制改正大綱よりも小沢さんの国会招致を優先させる意義、②国会招致に応じれば国会審議が円滑化するという保証、③公開の刑事裁判での証言では不十分とする根拠などにつき納得できる説明がないと、政治の停滞に拍車をかけるだけになってしまうと思います。

また同じく森ゆうこ衆議院議員はこうツイートしている

多くの同志とともに党本部で決議文と署名を岡田幹事長に渡した。今、小沢代表に対して政治倫理審査会への出席を求めることは、制度上正当性がない。

世論が、世論が、岡田幹事長はこう繰り返すだけで、私達の質問に、具体的かつ論理的に何も答えられなかった!

政治倫理審査会規定第2条第2項、「申立て書に議員が行為規範等の規定に著しく違反していることを明らかにした文書を添えて」申し立てるとある。そこで私達は幹事長に具体的にどのような事実認定ができるのか質問した。しかし何も説明出来ず、答えに窮して、

「与党の幹事長がそれを答えることは事実認定につながるので答えられない」だって…だから、事実認定出来ないものを政治倫理審査会に申立てることはできないんですってば!

要するに世論に迎合して支持率を上げたい一心なのだろう。岡田克也という政治家は原理主義者などと言われてはいるけれど、結局はポピュリズムの政治家であって、保身のためには簡単に原理を曲げてしまう。

このようにしてみると菅内閣というものは小泉内閣を参考にしているのではないかと思うのである。小泉が抵抗勢力と名指しし対立をしてみせることで、小泉こそ真の改革者であるというイメージを植え付けることに成功した。一方の菅は小沢一郎抵抗勢力として宣伝し、自ら小沢を切り捨てることでイメージアップを図ろうとしている。また彼らの言葉が軽いのも従米隷属一本槍なところも瓜二つである。違いは側近力と言えるもので、飯島秘書官や竹中平蔵などブレーンを揃えた小泉に対して菅には仙谷しかいないところだろう。

一体何をやりたくて総理になったのか分からない菅首相だけれど、小泉元首相のようになりたかったということだけはよく分かる。権力にしがみついて1年でも長く政権を維持したいというのが全てであり、その他に目的は見えない。つまりは純粋政局内閣な訳である。それが咆吼をあげジタバタしているのが現状だ。政権維持のためには三浦右衛門のように腕でも足でも差し出す覚悟だろう。

マスゴミから言わせると政局は金になるという。人々の関心が高いので新聞雑誌は売れテレビは視聴率を稼ぐことが出来る。こういうところにもマスゴミ迎合主義が見え隠れする。菅内閣が何時まで続くのか前途は暗いとは思うのだが、トチ狂った挙げ句に小泉の郵政解散を真似ておかしなことをしないように祈るばかりである。

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