耳のいい人には軍靴の足音が聞こえている

尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船が中国漁船に体当たりされたビデオがネットにリークされ、そのリークを行ったのが海保隊員だったというニュースで報道各社は色めき立っている。

勿論野党自民・公明両党も海保隊員によるリークは政権の情報管理に落ち度があるということで執拗に責め立てている。予算のための国会と言いながらなかなか予算審議も十分に始まらない状態で、公明党にすり寄った予算案を出して参議院で協力を請うて乗り切ろうという菅総理の目論みも潰えたようだ。

元々菅政権というものは今夏の参議院選挙で負けてしまったことが全てであり、それ以降菅総理が代表選で再選されようとも所詮自ら招いた失敗のツケを払い続ける泥舟内閣でしかない。来年の本予算の成立まで保つかも知れないという政権側の思惑は風前の灯火であり、もはや年末を乗り切ることさえ難しい。

代表選の時など、変えるべき時に思い切って変えることをしなかったことで、菅政権はおろか民主党の存続さえ危ぶまれる事態となっているようだ。20世紀を代表する経済大国の末裔が「愚か者死すべし」という言葉を地で行くという絶景などなかなか見られるものでもなく、この際存分に頭が悪いことはどういうことなのか脳裏に刻む作業に勤しもうと思っている。

さて泡沫政権の与太話など落語の枕にもなりはしないので、少し視界を広くして全体を眺め直してみる。するとこの尖閣諸島沖の事件から奇妙な景色が見えてくる。

それは前原外務大臣の動きを見ていると何となく気が付くことなのだが、元々国交通省大臣が前原の時に尖閣諸島沖の事件は起こり、前原国交通相が船長の逮捕を決めた。その後中国からの抗議などが起こる間に前原は外務大臣となり、中国に強硬姿勢で臨み、中国にとっても引くに引けない状況を作り上げた。そして今はこの問題から一歩引くような形で安全地帯に逃げ込んでいる。

結局の所、この件で前原という政治家が何をしたのかというと、領土といえども紛争地帯である尖閣海域で事を荒立て、日中双方の政権をナショナリズムの台頭を促す方向に揺さぶったということである。こうした係争が起こらないための知恵というものが先達にはあり、尖閣諸島の領土問題に関してはお互い棚上げにしようという合意があったにも関わらず、それを簡単に反古にしてしまったのである。

一方、この件に米国がどの程度噛んでいたのかは知るべくもないのだが、米国側の日米同盟の安保条約に関する談話などを見ていると、積極的に関わろうという意志は明らかだった。つまり米国はここに何らかの国益を見いだしていたのである。そしてこの場合の米国の国益として考えられるのは「紛争」をおいて他にない。局地的な紛争の萌芽を米国は見逃さない。前原は米国のために見事なお膳立てをしたと言える。

米国にとって「紛争」とは何かというと、これは米国経済によく効く特効薬のようなものである。何の話かと訝るだろうが、例えば1933年にルーズベルト大統領がとった有名なニューディール政策テネシー川流域開発公社など大規模な公共事業による失業者対策で知られていて、僕を含め多くの日本人は学生時代にデフレを積極財政で克服した例として教わった政策である。当時の米国は失業者数が1,200万人に膨らみ国民総資産は1929年の160億ドルから10億ドルへと何と16分の1に縮小してしまう危機的状況だった。

しかし僕たちが学校で教わった当時と現在とでは、ニューディール政策の評価は180度変わってしまっている。ニューディール政策が一定の評価を上げたことは間違いないが、実はこれだけではデフレからの完全な脱却には至らなかった。世界経済をデフレから救ったのは「戦争」という悪魔の特効薬だったのである。この第2次世界大戦の特需によって1930年代の大不況は終止符を打つこととなった。*1

多分本当に共産主義の驚異から民主主義陣営を守るために米国が行った戦争は朝鮮戦争までで、その朝鮮戦争で日本が特需を受けて経済発展したことも研究され尽くされた。やはり戦争こそが経済発展の特効薬と分かって以降、米国は積極的に紛争に関わり続けてきた。だから米国の戦争は、一体何のために戦争したのか時間が経つとよく分からないものであったり、明らかに不必要な戦争ばかりなのである。

リーマンショック以前は金融好景気に沸いていた米国だったが、財政赤字は如何ともし難く、戦争という特効薬が必要だった。サブプライムローンの破綻から始まった現在の未曾有の大不況においては虎視眈々と次の紛争を探している。元々米国の狙いはイランだったと思うのだが、前原外務大臣の働きのおかげで極東アジアに巨大な賭場が開いたのである。これは日本と中国という米国にとってはどうでもいい国の啀み合いであり、しかもどちらも財政的に魅力ある国である。米国としては中国と直接対決するような状況を慎重に避けさえすればよい。日米同盟を振りかざし、とりあえず米国はこの賭場に席を確保した。

尖閣諸島沖の事件で、菅内閣のここまでの動きを見ると極めて稚拙な反応に今後も終始しそうである。政権を存続させたければ官房長官を始め担当大臣の首をスパッと飛ばし、例えば小沢一郎を仙谷の後釜に据えてしまうようなウルトラCを出さないと無理だろうが、それはまず無理だろう。だからただの政局になる。いつもの日本の政治の姿である。そしてこれは米国の戦争装置に組み込まれた歯車の嘆きである。

しかし斯様に無責任な政局の裏では確実に軍靴の足音が聞こえるのである。その靴音が誰のドアの前で止まり、夜中にけたたましくノックをするのか、これから日本国民は怯えて暮らさなければならない。

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*1:参考:「ユニクロ型デフレと国家破産 浜矩子著」 文春新書