もういいかげん、日本はアメリカの従属国であると認識した方がいい

以前近所のブックオフに行って100円で買ってきた本の中に、デュラン・れい子という人の書いた「一度も植民地になったことがない日本(講談社+α親書)」という本があった。デュラン・れい子とは女性初のコピーライターとして博報堂で活躍後、スウェーデン人と結婚し、主としてヨーロッパに住む人で、現在はアーチストを日本に紹介する仕事をしながら、自身もアーティスティックな創作活動をしているようだ。

その本を読んだのは随分以前なのだが、その中に忘れられない一説があったのを時々思い出す。

それはアムステルダムでのこと、版画の個展準備で遅くなったデュラン・れい子を掃除婦のアフリカ人女性が自分の車で自宅まで送ってくれたエピソードだ。
車中で掃除婦はデュラン・れい子に訊くのである。
「あなたの国のマスターズ・カントリーはどこですか?」
マスターズ・カントリーという言葉の意味がわからず怪訝な顔をするデュラン・れい子に、このアフリカ人女性はもう一度訊ねる。
「ごめんなさい。『どこですか』ではなくて『どこだったんですか』でしたね」
そこでデュラン・れい子もようやく意味がわかり、「日本は一度も植民地になったことがない」と伝える。

このエピソードはさらに他の繋がりある話と共に綴られていくのだが、数年前に読んだときは「なるほど日本は一度も植民地になったことなどない国なんだな」と、日本人としての誇りを感じたりもしたものだ。

しかし、それから数年の月日が経ち、日常の些事に追われながらも日本で日本人として生きていると何か腑に落ちないことが起こっていることに気がつく。そんなことありはしないと思っていた事柄が、実は当たり前のように起こっている。隠されていた真実が時々露わになる。

例えば、ある文化人のパネルセッションの時、各国から集まった文化人がアメリカのイラク侵攻について語る。日本からの代表者が意見を述べようとするとフランスの代表者が口を挟む。「あなた達は所詮アメリカの従属国でしょう」
また例えば、アメリカのドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアが来日しインタビューを受けたとき、日本が国連の常任理事国に立候補していることに対して意見を求められた。「日本が常任理事国になることには反対だね。だってアメリカの票が2票に増えるだけじゃないか」とムーア監督は答えた。

さてもう一つの例をジャーナリストの岩上安身氏が長時間のインタビューを行った映像として見ることが出来る。

山崎淑子さんインタビュー 2010年8月10日 (岩上安身オフィシャルサイト)

このインタビューのビデオはYouTubeの規約により1つ10分弱に分断され全部で21章ある。それを全部見終えたときには、21世紀の日本でこのような事が当たり前のように起こったことに混乱してしまうことだろう。1945年の終戦から既に65年もの月日が流れ、世界に誇る経済大国になったと浮かれても、現実の日本は占領下と違わないことに戦慄を覚えることだろう。

この山崎淑子さんへのインタビューの内容を岩上安身氏のオフィシャルサイトにある岩上氏のTwitter発言録から抜粋し紹介してみよう。

あの、9・11の際、倒壊したワールドトレードセンターのビルのすぐそばにいた彼女は、事件を目の前で目撃し、アスベスト被害のための証拠として、粉塵を採取していた。事件現場の写真もとっていた。
そして、NY在住の一市民として、ブッシュ政権対テロ戦争政策に反対し、日本に帰国しては、目撃した事実を講演で話し、イラク特措法に反対した。「罪」があるとすればそれだけだ。その「罰」が、財産と、健康と、自由と、愛犬の命を失うことであるとは、誰が予想しただろうか。

ということで、山崎淑子さんという人はニューヨークに住んで働いていた女性である。ワールドトレードセンターの近くに事務所を借りまさに引っ越そうという時に飛行機が突っ込み、ワールドトレードセンターは倒壊した。その時彼女が感じたものは、あらかじめ台本を読んでいるかのようなラジオ放送、飛行機が突っ込んでも壊れないと全てのニューヨーカーが教えられてきたビルに本当に飛行機が突っ込んで倒壊したという腑に落ちないテロ、倒壊後もなぜか地下で燻る火と小爆発などへの疑惑だった。

そうしたテロに不自然さを感じた彼女は平和運動に参加する。またもはや借りられなくなった事務所に支払い済みの敷金や礼金の返却を求めて弁護士と打ち合わせも行った。そしてこの弁護士が実は悪徳弁護士であり、自身の別の罪の軽減の取引材料として山崎淑子さんを愛国者法違反として罪を捏造し(或いは捏造に協力させられ)彼女を売ることになる。

とりあえず一旦日本に帰ってきた彼女は、いきなり日本の検察に拉致される。逮捕理由も何も説明がなくいきなりのことだった。

子宮内膜症を患わっていて、手術を受ける予定だったその女性は、ある日突然、官憲に連行され、拘置所に連れていかれ、薬を取り上げられた。3カ月間拘置され、出血が止まらなかった。凌辱に近い扱いである。
検察の拷問の手口の一つが、持病のある人間を拘置所に留置して、薬を取りあげ、体調が悪化しても、ろくな医療行為を受けさせないこと。
検事は、「ペットのワンちゃん、殺処分になっちゃうよ」と、脅した。脅すだけでなく、拘置されている間に、愛犬は本当に殺処分されてしまった。
彼女についた国選弁護人は、彼女の権利保護の為に何もしなかった。ずっとのちになってわかったことだったが、彼は有名なヤメ検弁護士であり、検察の身内だった。
三ヶ月の拘置のあと、彼女は米国の官憲に引き渡され、米国製の手錠、米国製の腰縄をつけられて、米国に護送された。犯罪人引き渡し条約により、米国で訴追された日本国民は、日本政府に守られることなく、米国へ送られてしまう。その逆はない。日米地位協定という不平等条約のためである。
彼女にかけられた容疑は、9・11同時多発テロの被災者向けのローンを詐取しようとした弁護士との共謀罪。本人はまったく身に覚えがない。米国では、誰かが「あの人と共謀した」というだけで、罪をかぶせられてしまう。
彼女にはアリバイもあった。しかし、ろくな審理もなく、司法取引を強いられる。罪を認めれば、実刑は免れられる。そういう約束だった。泣く泣くサインしたが、法廷では何と実刑を言い渡された。
刑務所送りにされた彼女は、そこで自分と同じように冤罪で送り込まれたアメリカ人女性と会う。名前はスーザン。スーザンはひどい拷問で精神を病んでしまっていたが、同房となった彼女の看護で、回復して行く。
数年の後、出獄した彼女は、金も、洋服も、鞄も、アクセサリーも返されず、囚人服のまま、日航機に乗せられ、東京へ送還された。財産も、家も失った彼女は、教会で行き倒れ、聖路加病院の救急救命センターで命を救われた。
検査によってわかったことだが、長い刑務所生活で、彼女はB型肝炎に感染していた。検査も治療も受けさせてもらえなかったが、自分の体内で抗体を作り出していた。

僕は最初この話を聞いたとき、これはメルボルン事件と同じような事件なのかと思った。

メルボルン事件弁護団ホームページ

しかし同じ冤罪でもメルボルン事件はオーストラリア側の無理解や失策の隠匿、また少なからず人種差別的な要素が見られるのに対して、山崎淑子さんのケースはそういったものではなく、あの当時愛国が絶対であったアメリカに不安要素を持ち込んだ外国人として、無理矢理罪を捏造され社会から抹消されかけたという点が特徴である。

そしてさらに恐ろしいのは、山崎淑子さんのケースでは、日本の法務官僚(特に検察官)が率先してアメリカの冤罪作りに手を貸して、自国民を罠にかけ社会から消去しようとした行為に協力したことである。これは彼らが日本国民のための官僚ではなく、アメリカの出先機関であることを意味するだろう。つまり彼らのご主人様はアメリカなのである。

そう考えると、ここには最近の日本を読み解く全ての解が含まれているように思う。それは小泉ー竹中改革がどうしてあれほどアメリカに有利な条項ばかりで出来ていたのか、莫大な米国債は一体どのような理由で日本が引き受け引き継ぐことになったのか、米軍は第七艦隊だけがあればいいと言った小沢一郎はどうして執拗に検察に追われるのか、東アジア共同体構想を掲げた鳩山政権はどうして短期間で終了したのか、普天間基地移設問題はどうして従来案に戻ったのか。これら全てに関わるのは日本の優秀な官僚達であり、その彼らが忠誠を誓うのがどうやら日本国民ではないらしいという事実である。

もはや、日本が普通の独立国であるなどと言ったら鼻で笑うべき時代がきている。日本はこの65年間アメリカの従属国だった。特に小泉政権以降はその傾向が明白に現れ、アメリカからの締め付けも厳しくなった。そう聞いて、馬鹿馬鹿しいという人もいるだろうけれど、それなら先のフランスの文化人やマイケル・ムーアの言葉も参考にするべきだろう。

アメリカが日本のマスターズ・カントリーであるという定数を公式に入れると、去年の政権交代というのは本来は独立運動でなければならなかった。鳩山政権の頃はまだその意識が政権にあったのだが、菅政権になった途端にその意識があっという間に薄まった。ここで菅政権に対する不満がなんなのか、その解もあっという間に導き出されるわけだ。

何はともあれ山崎淑子さんにはこれからも頑張って欲しいと思う次第である。

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