本当の日本の本当の病巣は誰もが知っている

猛暑でどこにも出かける気力もなく、近所の大型スーパーとか映画館あたりに涼を求めていたお盆休みだった。以前は暑さに強い方だと思っていたのに、いつの間にかこの様である。我ながら情けなく無様である。

そんなわけでお盆休みの最後に、アメリカとメキシコの合作映画(2009年)である「闇の列車、光の旅」という映画を観に行ったのだが、一部とても強く印象に残る台詞があったのでここに紹介してみよう。

映画はホンジュラスに住む女の子が、その父親と叔父に連れられてアメリカを目指すという物語である。ホンジュラスグアテマラを挟んでメキシコの南に位置する。映画の冒頭、ホンジュラスの街を見下ろす煤けたアパートの屋上で叔父は女の子にアメリカ行きを告げる。「アメリカに行ってもきついだろうが、ここにいても何もないんだよ」。

そのとき女の子の視線の先には貧しいホンジュラスの街並みが広がっている。低層アパートと舗装もされていない道路と貧しい服を着た市民達がいる。やがて彼らはグアテマラを経由しメキシコに入ってアメリカを目指すことになる。金のない彼らの旅は貨物列車の屋根に無賃乗車し、入国取締官に怯え、そして地元の少年ギャングにもいたぶられるという恐怖の連続である。

目に焼き付いたのはホンジュラスやメキシコのような国の人々がアメリカを目指す姿である。彼らが危険を顧みずそうしなければならないのは国が貧しいからであり、彼らの国が貧しいのはアメリカという国が彼らの国の資源をずっと搾取し、彼らの国のエリートが多少の見返りと引き替えに率先してその搾取に手を貸してきたからである。

例えばメキシコは産油国でもあるのだが、その石油利権は全てアメリカのオイルメジャーに握られている。おおざっぱに言うと、スーツを着たアメリカ人幹部がメキシコ人の土地でメキシコ人を使って石油を掘り、大部分の利益をテキサスに送り、多少の賃金をメキシコ人に渡すという構図である。

さて8月16日の朝、イギリスBBCのサイトを見たらトップニュースが「Japan GDP figures show sharp slowing of economic growth(日本のGDP値に見る日本経済成長の鈍化)」だった。英語のサイトだから日本のニュースサイトの記事もリンクすると、「4〜6月期実質GDP、年0.4%増 伸び率大幅縮小(asahi.com)」という記事がある。

日本の総理大臣が替わってもニュースにならない海外サイトのトップに、日本のGDPの成長が鈍化し中国に追い抜かれるという記事がくる。外国から見るとこちらの方が重要なニュースな訳だ。

僕の印象だと昭和が終わり平成が始まったあたりでバブル景気が終了し、それ以来約20年間、日本経済は本質的に停滞し続けている。停滞していても、世界最強の製造業があったおかげで景況がよかった時期もあったのだが、基本的には経済のダイナミクスは停滞をし続けている。これだけの長期間の低迷は何が原因なのか、政治家や官僚、多くの評論家達は理由を模索してきた。しかし、これだという決定的な理由はなかなか見つからない。

自民党政権も手をこまねいていたわけでなく、色々な経済政策を行ってきた。しかしながら、それらの多くは既得権益者を軸とした旧来の産業を守る側面が大きく、その場しのぎにはなったけれど根本的な治療とは言えず、逆に守旧産業を温存したおかげで年を追うごとに不況の病巣は広がったように見える。広がった病巣は社会に閉塞感をもたらし、やがてそれに耐えられなくなった日本人はそれまでの守旧産業を温存する自民党を捨てて、民主党政権交代させ新しい時代を迎えようとした。

その民主党政権がすったもんだして、なかなか成果が出ていない一方で、自民党時代に手厚く保護されていた既得権益者達は社会に深く根を張り続け、新しい社会の出現を拒んでいるように見える。国民は選挙によって政権を替えることはできたが、これら既得権益者を替えることはできない。また権力を持った既得権益者は死ぬまで権益を手放さない。特に民間の既得権益者は公人ではないのでますます権益を手放さない。

この民間の既得権益者とはどういうことなのか一例を出して少し説明する。これから述べることはあくまで例であって全てではない。細部であって全体ではない。しかし時に細部に魂が宿ることがある。細部が重なって全体を形作るからだ。だからこれだけで不況の原因を決めつけたりすることはせず、他にもこのような例があり、それらの悪行が積もり積もって不況スパイラルが渦巻いていることを考える一助になればいいと思う。

日本には高度成長期という時代があり、その頃教育がある優秀な労働者を使って事業を興した人たちが多くいた。その中には後にソニーやホンダのような大企業になった例もあるが、それは稀な例で、多くは中小零細企業と呼ばれる企業群になった。その中でも、ある程度の大きさを持つ中企業(従業員300人以下)はともかく、従業員数の少ない小企業(従業員20人以下)や、さらに少ない零細企業の創業者は、いつまでもオーナー社長として君臨し独裁で会社を切り回す例が多い。

彼らの多くは高度成長期に享受した成功体験を今も大事に信奉している。例えば、売り上げが減れば営業マンを補充したらいいと言って、この不景気に営業マンを次々と雇用する。もちろん結果など出ないのですぐに解雇する零細企業がある。社員にボーナスを出さず、自分は高級車に乗り愛人を雇用したことにして会社からお手当を払っている経営者もいる。新しい技術に見向きもせず、いつの間にやら取り残され業績が落ち込んでいるのを社員の努力不足と決めつけている経営者もいる。このような経営者は必ずいるものだが、ここで取り上げるのは70代から80代の人々だ。困ったことに、死ぬまで現役でいることを美徳と考え、仕事もせずにせっせと病院に通っているので若者より元気で血色もいい。

こんな会社つぶれてしまうだろうと思うのは早計で、何せこの不況の中、政府の手厚い中小零細企業対策のおかげで、銀行は担保があれば融資をしてくれる。土地や建物はもちろん担保だけれど、それ以外に信用保証協会というものがあって、担保がなくてもこれまで返済が滞ったことなどがなければ融資の保証人となってくれるのである。(もちろん審査はある)

誰もが知っているように経営を続けていくために必要なのは運転資金であり、これが廻っている限り、クラウドだのイノベーションだのMBAだの関係なく経営者は経営者でいることができる。そして結果的には生涯現役の昔気質のこれら経営者は、今日も経営者で居続け、結果的に若い芽をつぶし、会社と社会の改革を遠ざけている。オーナー社長であるから社員も文句は言えないし、取締役会なども身内ばかりである。基本的に会社ごっこの延長線である。

日本で中小企業で働く人々はその就業人口のおおよそ7割であるという。その全てがこのような悪質な例であるわけはないが、普通に社会人として働いているとこうした例の一つや二つを見聞きするだろう。

今の日本では、これらの企業も限界にきている。本来はもっと早く潰れるかどこかと合併するかさっさと世代交代するか選ぶべきだった中小零細企業は、世界の流れに取り残されてしまっている。頭が古く自己の保守のみに熱心な経営者達が率いるこれら企業群の多くは製造業で、その業界は中国など新興国の台頭により競争力を無くしている。彼らが生き残ろうとすると、ライバルの中国企業並みのコストを実現せざるを得ず、それは従業員の低コスト化を招く。従業員の低コスト化は社会の低コスト化を招き、商品の価格を下げなければ経済が廻らないことになる。これが今日のデフレの原因の一つであり、日本の製造業に蔓延している問題である。

つまり、日本の中小零細製造業は受け入れるべき変化を受け入れる機会を自ら逸してしまった。正面から話をしても10分後には寝てしまうような経営者のおかげで、21世紀にあるべき姿に変わることが未だに出来ないでいる。

このような姿が日本経済のエンジンとされる零細製造業企業の本当の姿である。こうした企業は思っているより多く、もはや国際化したビジネスの流れからは弾き出されているので、このままの形態を続けていってもますます業績は悪くなるだけなのである。それら悪化した業績が束となり、不況のスパイラルが日本を覆ってしまった現状がある。

そして昨日17日、菅首相は追加経済策を行うつもりであると発表した。

追加経済対策「もっと現場を見たい」17日の菅首相 (asahi.com)

どのような追加経済政策をとるつもりなのか、未だ定かではない(というのも驚きだが)のだが、しかし社会が抜本的に変わらない限り日本経済のドラマチックな回復はあり得ない。公共投資貸し渋り貸し剥がしの規制、日銀の量的緩和等のどれをとっても決定打にはならない理由は、たぶん上記に例を出したような、社会そのものに何らかの原因があり、その解明すら進んでいないことが挙げられるだろう。

アメリカは1970年代の悲惨な不況以降、産業構造を180度転換し、デトロイト型の製造業からウォール街型の金融産業へと経済活動の核を移してきた。今やそのウォール街型の金融産業も斜陽となってしまったが、日本においては戦後に製造業が花開いた時のままである。そしてその製造業は、もはや事業に熱心とは言えない保身的な経営者と、低コストでモノを作ることに長けた中国企業との争いになっている。これでは全く未来がない。

「闇の列車、光の旅」という映画に映し出されたホンジュラスやメキシコの光景を見て、それは地球の裏側の話ではなく、ひょっとすると近々自分たちの身近に出現するかもしれない風景なのかもしれないという思いを強くした。

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