盲目の検察審査会、民意を叫ぶ狗ども

駅前を歩いていたら、すぐ前におばさんグループがいた。声が大きいので何を喋っているのか嫌でも聞こえてくる。
「鳩山さんて頼りないわよねえ」「それに小沢の二重支配でしょう」
おばさん達は皆にこにこ顔で、自分の国の首相や与党幹事長をあしざまに罵っても楽しそうである。

政治が身近にない人達、それが所謂B層と呼ばれる人達だと思う。

B層とは、小泉政権の重要閣僚だった竹中平蔵の知人が代表を務めていたとされる広告会社「スリード」がマーケティング調査し分類した、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層であり、主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を指す。

このB層のもう一つの特徴は、その構成人口の多さである。小泉首相郵政解散では、このB層に直接的に訴えるフレーズを多用し、改革派対抵抗勢力というわかりやすい図式を用いたが故に、自民党B層からの大量得票を得ることになった。

小泉政権が終了したあと、このB層の定義も少しづつ変遷し、今では「マスメディア報道を基調に政治を観察する有権者で、日頃から政治と関わり合うことのない、特権的な収入を持たない人々」という具合に再定義できるのではないかという気がする。そしてこの定義をよく吟味すると、日本人のマジョリティそのものがここに入ってくることに気が付くのである。

先のおばさん達は、2010年版B層の人々だろう。マスメディアからの情報を信じ、政治家を罵ることを楽しめるほどに直接政治と関わりあいのない、(多分)中流階級以下の人々であろう。政治と深く関わり合いがなく熟考することもないから責任感を持たない。だからせっかく政権交代を果たす為に投票したとしても、その結果への興味は長く続かない。

昨年の政権交代劇から半年以上経ったが、鳩山政権はずっと官僚とマスメディアの攻撃に晒されてきた。検察は首相や幹事長を異常に厳しく捜査したり、官僚は閣僚や大臣への不服従を決め込むなど直接政治家を貶め、マスメディアはB層を煽って鳩山政権を揺さぶろうとする。

そしてB層は案の定それに乗っかってしまう。なぜならその方がB層の人々にとっては安心だからである。自民党政権時代に慣れ親しんだ政治が今もテレビを通してお茶の間にあるから、彼ら自身は変わる必要はないと思うのである。政権交代して鳩山政権になったけれど、政治と金の問題とかが出てきて結局自民党と同じじゃないの。それなら自民党と同じようにたたいときゃいいのよ。

民主党自民党と同じレベルに陥れることが、官僚とマスメディアのやり方である。しかし国民から忌み嫌われた麻生政権などと同じように扱うことは両刃の剣ともなっている。民主党が誹謗中傷により墜ちていっても、墜ちた場所には相変わらず自民党がいる。同じような低いレベルに墜ちたというだけで、どちらかがよりマシだという話ではない。目糞と鼻糞である。だからマスメディアがB層を焚き付けている間は自民党も浮上はせず、政治にリーダーシップはなくなり、政治離れという無関心が横行する。無関心はさらにB層を増やす結果となる。

さて、昨日小沢一郎民主党幹事長に対して検察審査会が起訴相当という議決を出した。これは一般の市民から選ばれた11人の審査員が検察からの説明を聞いて討議し、検察の捜査に対して妥当だったかどうかの判断を下すものである。起訴相当という議決が出たら、検察はもう一度再捜査をしなければならない。

小沢一郎に対して、東京地検特捜部は昨年の3月の所謂西松問題を皮切りに、少なくても1年以上事務所の家宅捜査や小沢一郎本人からの数度の事情聴取を含む捜査を行い、その結果不起訴という結論を出したのである。しかし検察審査会はそれでもまだ捜査が足りない、納得しないということらしい。

小沢氏起訴相当の議決書全文を読むと、小沢一郎を「絶対権力者」呼ばわりしたり、「きわめて不合理で不自然で信用できない。」など主観を第一におき客観を無視した態度であったり、さらには被疑者の「共謀を認定することは可能である」とまで決めつけている。

検察審査会の審査員は司法のプロではなく一般から選ばれたという建前になっている。それらの人々が東京地検特捜部が長い年月と莫大な予算をかけて捜査して不起訴とした案件を、具体的な新証拠も明示せず起訴ということのおかしさは一抹の喜劇のようなものである。

しかもこの検察審査会の人選は恣意的に行われた可能性もあるという。この方の今日のツイッターから抜粋する。

検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ。随分前ですが審査員の方からふさわしい人を推薦してほしいと依頼があったので推薦しました。任期は6か月、そのうち半数が3か月ごとに改選されていません。推薦した方は審査員会会長も歴任されました。

また鈴木宗男議員はUstreamの中継で爆弾発言を行っている。

吉田副部長は、「今回小沢は不起訴でも、検察審査会を使って必ず起訴する」、と石川議員は脅された。

吉田副部長は西松事件から陣頭指揮した地検特捜部の幹部の一人である。

そして検察審査会に説明したのは検察だけで、小沢一郎側からは本人も弁護士も説明が出来なかったというのであるから、これは既に結論が決まった筋書き通りに権力が暴走している途中なのだろうとしか思えないのである。

この検察審査会が起訴相当という議決を二度出せば、検察は自動的に起訴しなければならない。小沢一郎不起訴で汚名を着せられた検察の真意は測ることが出来ないのだが、このまま起訴され裁判になっても小沢一郎を有罪に出来るだけの証拠は現在のところないわけで、長期裁判をダラダラと続けることくらいしかできることはないだろう。小沢一郎も高齢だし、無罪という結論が出るまでに田中角栄のように寿命がくれば万歳といったあたりが目的なんだろう。そしてその間小沢一郎の政治力は削がれていくことだろう。

一方でマスメディアはB層に向けて朝から晩までこの話題を繰り返している。同じ報道を何度も繰り返す様は、もはや新興宗教による洗脳に近い。マスメディアは検察審査会を民意の勝利と呼ぶ。何度も叫ぶ。一般から選ばれた審査員による結論だから民意だというわけだ。

マスメディアは公正中立であろうとはしていない。審査員が選ばれた過程に不審な点があることは全く報道しない。例えばナチスが選挙で選ばれヒトラーをドイツ総統にしたのは、当時のドイツ人の「民意」だったことにも触れない。

多くの識者が語るように、検察審査会はやがて二度目の起訴相当という議決を出すだろう、と思う。彼らをそうさせる者達は決して諦めないからである。なぜならこれは政権交代前夜から続く権力闘争であり、権力を失おうとしているものがいる限りいつまでも続く話だからである。

この権力闘争が続く間、日本は今も極東アジアで起こっている中国の経済的台頭等の新潮流にも乗り遅れることになるのだろう。その結果、損をするのは世界から取り残された日本国民であり、嗤うのは再び権力を手にする既得権益者達である。そしてB層の人々は自分たちの価値判断のレベルが低かったことを最後まで知ることはない。ただ何となく生活が悪くなっていくのを呆然と実感して終わるだけの話である。

「民意」に隠れた旧既得権益者の業は執念深い。

無料アクセス解析