よみうり寸評を読んで讀賣を寸評する

3月6日付よみうり寸評がネットで話題だ。400字少々の文字通り寸評なのだが、その内容の酷さというか勉強不足なところが散々からかわれている。以下に引用してみよう。

3月6日付 よみうり寸評

 なぜ、こんなものが流行(はや)るのか。インターネットの世界で利用者が急速に増えている「ツイッター」にそう首を傾(かし)げている人は多かろう◆140字以内の短文を誰でもネットに発信できる。読んでもらう相手を決めておく必要はない。いわば「つぶやき」だ。「腹減った」「もう寝る」もある。政治経済や国際情勢、宇宙を語っている人もいる◆最近は政治家もよく「つぶやく」。国会議員など300人以上が利用中という推計もある。このうち今週話題になったのが原口総務相だ◆1週間前のチリ地震で自ら津波情報をつぶやいて発信。水曜日は国会予算委に遅刻したが、その間もつぶやいていた◆「ツイッター」は英語で「鳥のさえずり」。人々があちこちでつぶやく様を指すらしい。利用者は100万人以上。つぶやき数も今週、累計100億回を超えた。政治家の情報発信には格好の道具だ◆ただ発言を取り消せない。流言飛語が怖い災害時も使えるか。「綸言(りんげん)汗の如し」。気軽につぶやいてもらっては困る時もある。
(2010年3月6日15時56分 読売新聞)

これは今ネットの世界で話題となっているTwitterというサービスを話題にしている。よみうり寸評にあるように、Twitterは「さえずり」という意味で、140文字以内の短文をネット上に書き込めるサービスである。そしてその短文を誰もが読めるし、決められた人にしか読めないように設定することも出来る。そしてその利用者も100万人以上いるらしく、どうでもよいつぶやきを延々と書き込む人もいれば、特定の有益な情報をリークするかのように流す人もいる。何せ利用者が多いので玉石混淆状態であって、どのTwitterを選んで読むのか、利用者の選定眼が必要になってくる。

IT業界で仕事をしている友人たちが、日本でTwitterが広まる以前からTwitterを使っているのを知り、自分もアカウントを取ってみた。しかし、その頃のTwitterは特に有益な情報が流れている訳ではなく、昼食に何を食べたとか、雨が降ってきたとか、電車が遅れたとか、他愛のないつぶやきばかりであって、関心を持てないまま放置していた。

しかし、昨年の後半あたりから、一部のジャーナリストの人々がTwitterを使い始め、マスメディアに載らない情報を次々と流し始めたあたりから様相は変わってきた。特にTwitterに情報を流し始めたジャーナリストの人々の多くがフリーランスのジャーナリストの人々で、彼らが取材した内容が編集などという検閲を受けず、そのままダイレクトに届くようになってきたのである。

そして彼らフリーランスのジャーナリストの人々がTwitterに流す情報は極めて確かで信憑性が高く、また彼ら自身が付ける論評なども、自分で取材してきたからだろうが極めてリアルな経験に裏打ちされたものが殆どで、新聞やテレビなどといったマスメディア製の幕の内弁当のようなニュースとはまるで違う、一品ずつ丹誠を込めて作られた小鉢をいただいているような印象を持ったのである。

情報には一次情報というものがあって、これは直接取材をした人や団体が発する情報である。例えば通信社や新聞社、テレビ局などが、事件現場に取材に行き、その情報を自ら報道するような場合は、これを一次情報と言ってよいと思う。次に二次論評というものがあり、それは一次情報を元にして論評を行ったものであって、一次情報の周辺をさらに詳しく報じたり、その事件などがどのように社会影響を及ぼすかといった考察を行うもので、週刊誌や月刊誌、或いはテレビでは報道特集のような形でニュースを掘り下げようとする試みだろうと思う。

しかし近年、従来型のマスメディアの一次情報も二次論考も何やらおかしくなってきた。大まかに言うと、真実ではない情報を、いかにも疑わしく報道することに血道をあげ始めたのである。特にある特定の思想に対しては驚くほど寛容なくせに、それに対抗する勢力に対しては真実をねじ曲げても叩き潰そうとするかのような振る舞いが目立ってきたのである。

そうした大政翼賛会的な報道一色になったところに、フリーランスのジャーナリスト達が自身で生の情報を発信し始めたのである。するとそれらは従来のマスメディアの報じる事実とはかけ離れていることが多く、マスメディア報道では辻褄の合わなかったパズルのピースが、ピタリピタリとはまりはじめ、そして出来上がったパズルを見ると、マスメディアが報じるものとはまるで違うパズルが出来上がっているといった具合なのである。

つまりTwitterに流れる情報を上手く使って組み立てを行うと、従来の一次情報発信元としてのマスメディアの存在自体が揺らいでしまうという結果になってきたのだ。勿論、Twitter情報を上手く使うにあたっては情報元を自分で選定しなければならない。そこでインチキなジャーナリストを選んでしまう危険性もあるので注意をする必要はあるだろう。しかし、暫くTwitterを使って、そこに流れてくる情報とマスメディアの情報とを比べることを続けていくと、段々と何かが見えてくるだろう。

よみうり寸評がこの様に間の抜けた論評を行っているのは、自らの一次情報の発信元としての立場が段々と揺らぎはじめたことに対する警戒感からではないか、と思う。讀賣といえば1,000万部数を誇る大新聞であり、ナベツネの権力の源泉は1,000万部数の読者を持つが故に1,000万世論を好きなように誘導できる世論コントロール力なのである。しかし昨今、いくら1,000万読者を焚き付けても、民主党の支持率はある一定数で下げ止まったままだし、東京地検特捜部は世論の後押しがなくなって失速し、小沢一郎は逮捕どころか起訴さえされなかった。マスメディアがどれほど大衆を焚き付けようと、不思議と大衆は動こうとはしない。何かおかしいと考えているだろう。

自分勝手な振る舞いをする人は自分のことが見えていない。そのためにトラブルが起こっても常に他人のせいにする。マスメディアも同じで、自らの報道内容が現実の生活と乖離するほどに荒れて価値のないものとなっていることを認めず、こうして新しくできたメディアに意地悪をして溜飲を下げようとしているのである。何とも情けない話だが、そこいらが本音だろうと思う。

新聞の広告出稿量は年々低下し、昨年度は遂にインターネット広告が金額ベースで新聞広告を抜いたと報じられた。いくら讀賣でも広告収入の激減は痛いはずである。アメリカの現実などを見ると、地方紙などはみるみる倒産、或いは合併吸収されているし、ニューヨークタイムズなどのような一流紙も生き残りに試行錯誤している。もはや新聞やテレビなどのマスメディア業界は斜陽産業とさえ言われている。

僕が学生の頃などは新聞販売拡張員暴力団の名刺を持たせ、押し売り同然に新聞の購読契約を取り、結局はギネスブックに載るほどの大新聞社になった讀賣新聞社である。だから、このよみうり寸評はとても味わい深いものがあるし、これを読んで「おまえらいつ潰れたって誰も困りはしないよ」と心の中で小さくさえずりもしたのである。

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