郵政不正事件裁判で大阪地検が大阪らしい大ボケをかます

大阪には吉本興業というお笑い芸人を多数抱えた大手芸能プロダクションがあり、寄席の興行主としても名高く、大阪人なら誰でもその存在を知っている。また大阪の学校では、教師の言うことを聞かず勝手な振る舞いをし、それでいて周りから笑いをとってしまう生徒がいると、「おまえ、吉本へ行け」などと将来の就職先を提案されてしまうことになるのだが、今日の大阪地検は正しく「吉本へ行け」と言われても仕方ない為体だったようだ。

今日は例の郵政不正事件の公判日で、大阪地裁ではいよいよ民主党の石井一参議院議員が弁護側証人として出廷して証言する日である。裁判を傍聴したジャーナリストの江川昭子さんと内閣官房雇用戦略対話講師をはじめ数々の政府委員会に参画した社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミさんが、裁判を傍聴し、休憩時間などを利用して切れ目なく公判の状況をツイッターで実況した。(以下敬称略)

江川昭子のツイッター
竹中ナミのツイッター

両者のツイッターの全てを引用すると長くなってしまうので、部分抜粋だけに留めるけれど、興味を持った方は是非上記ツイッター全文をよく読まれることをお勧めする。被告である厚生労働省元局長村木厚子氏には気の毒だが、もはや舞台は地裁からなんば花月に移した方がしっくりくると思う。僕もまさか裁判の傍聴記で抱腹絶倒するとは思わなかった。

この郵政不正事件とは何か、元検事の郷原信郎弁護士が昨年の4月24日に日経ビジネスに書いた記事を抜粋してみよう。

 4月16日、障害者団体向け郵便料金割引制度を悪用したとされる郵便法違反事件で、大阪地検特捜部は、ダイレクトメール(DM)の不正送付に関与したとして、障害者団体、大手家電量販店会社、広告代理店、大手通販・印刷会社などの10名の関係者を逮捕した。

  報道によると、逮捕事実は、実体のない障害者団体の定期刊行物を同封することによって、障害者団体向けの低料第三種郵便割引制度を適用させ、正規料金が一通120円のところを、8円という破格の低料金で約200万通のダイレクトメールを発送させ、正規料金との差額計約2億4000万円を不正に免れたというものだ。

 障害者団体のための制度を悪用して多額の郵便料金を免れた許し難い悪質な事件だ。

流石に簡潔に要点が整理されている。簡潔すぎて物足りないほどである。なぜなら上記抜粋の後に郷原弁護士はこのように続けている。

通常であれば逮捕は考えられない軽微な犯罪

 まず、今回の被疑事実は、「不法に郵便に関する料金を免れ、又は他人にこれを免れさせた者は、これを三十万円以下の罰金に処する」という郵便法84条の規定に違反したというものだ。まず、驚くのが、これほど大規模な強制捜査なのに、被疑事実の法定刑が「30万円以下の罰金」と著しく軽いことだ。

 被疑者の逮捕の要件を定める刑訴法199条は、軽微な犯罪については、住居不定か出頭拒否の場合に限って逮捕を認めている。この軽微な犯罪の範囲は、刑法犯、暴力行為処罰法などでは「30万円以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪」、それ以外の特別法犯については、「罰金30万円以下」を「当分の間、2万円以下」にするものとされている。

 社会的地位のある企業の役職員などの場合は住居不定、出頭拒否というのは通常あり得ないわけで、要するに、今回の逮捕事実は、この「当分の間、2万円以下」という刑訴法の規定で何とかギリギリ逮捕の要件を充たしてはいるものの、法定刑のレベルから言うと、通常は被疑者の逮捕などは考えられない極めて軽微な犯罪と言わざるを得ない。

つまり微罪なのである。こんな容疑で厚生労働省のキャリア官僚が逮捕されたのだからおかしな話だ。

Yahoo!ニュースにも郵政不正事件としてリンクがまとめられている。ただ、最近個人的に産経ニュースの記事をリンクするのがマイブームであって、今回もわざわざ産経からリンクを引っ張ってこの事件を再構築してみよう。何故産経なのか、その理由はこのブログを読まれる方々の想像にお任せしたい。

【郵便不正事件】省庁のキャリアシステムが背景か
2009.6.15 11:32

 証明書発行に絡む省内の指示は、当時の厚労省障害保健福祉部長(57)から始まった。「国会議員から電話がかかってきた。うまくやってくれ」

 平成16年2月、ほぼ丸投げされた同部企画課長だった村木厚子容疑者(53)は調整係長を担当者に指名。その後、4月に同係長に着任したノンキャリア職員の上村勉容疑者(39)が前任者から引き継ぎ、最終的に偽造という不正な手段をとった。

この国会議員というのが民主党の重鎮の一人であり小沢一郎の側近でもある石井一参議院議員であるとされている。

 政治案件はそれほど絶対視されていたのか。ある職員は政治家の口利きの存在を認めたうえで、「3日かかる手続きを1日で済ませたり、進展具合をこまめに報告したりと気配りを徹底するだけ。違法行為に手を染めるかどうかは別問題」と否定的だ。

 だが、別の職員は「政治案件は通常、対外的な交渉を担当する別の部署から伝えられる。しかし上司から直接指示があったとすれば、部下が『個人的に関係があるのでは』と勝手に思い込み、必要以上に気を使う可能性はある」と指摘する。

ここで「ある職員」や「別の職員」という都合のよい人々の証言が登場する。名前がないので誰が言ったのか確かめようがない。それは同時に本当にこの様な発言をした人物が存在するのかどうかも確かめようがない事を意味する。つまり「ある職員」や「別の職員」の発言は信用する根拠がない。本当かも知れないし、嘘かも知れない。

 上村容疑者は特捜部の調べに、「凛の会側から何度もせっつかれた」と話す一方、「仕事ができない奴だと思われたくなかった。自己保身のためにやった」とも供述した。

 同僚らが「仕事一筋でまじめな性格だった」と口をそろえる上村容疑者。なぜそこまでして仕事を済ませたのか。その背景に中央省庁のキャリアシステムを挙げる職員もいる。厚労省の課長ポストはほとんどキャリアで占められ、職員の人事評価は各課長の仕事。同僚らは「案件処理のスピードは評価の大きな要素になっていた。キャリアににらまれたくない一心だったと思う」と話す。

上記は上村被告の供述と同僚らによる人物評価である。この上村被告は先の公判で、検察にした供述を全面否定し、下の抜粋に登場する村木被告の完全無罪を証言することになる。

 一方、キャリアの村木容疑者はまったく違う立場にいた。当時、障害者自立支援法の準備に追われ、国会議員とも調整を重ねていた。ある職員は「法案は障害者団体から負担増になると反対の声が上がっていた。野党の議員の口利きに過剰に反応し、部下の不正を軽く流してしまったのでは」と推し量った。

この産経の記事はここで終わる。そのため、村木被告の有罪の匂いがぷんと立ちのぼるかのような印象を与えることになる。

上記リンク先には出てこないが、「凜の会」の倉沢被告に関してのニュースも昨年の5月29日の産経ニュースから抜粋してみよう。

郵便不正事件、厚労省局長が直接電話 倉沢被告「目の前で郵政幹部に」
2009.5.29 00:30

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、「凛(りん)の会」(解散)主要メンバー、倉沢邦夫被告(73)=郵便法違反罪で起訴=が、障害者団体証明書の発行を求めて、厚生労働省の局長(当時・障害保健福祉部企画課長)と面会した際、「局長が目の前で郵便局会社副社長(当時・日本郵政公社東京支社長)に電話をかけた」と話していたことが28日、関係者の話で分かった。

 倉沢被告は大阪地検特捜部の調べに、局長の部下だった同部係長、上村勉容疑者(39)が作成した偽の証明書を「局長から直接受け取った」と供述していることがすでに判明している。

 特捜部も一連の事実を把握しているもようで、凛の会が制度の承認を受けられるよう局長が郵政側に何らかの便宜を図った可能性もあるとみて、会話の内容などを慎重に調べている。

 凛の会関係者によると、倉沢被告は平成16年2月、制度適用承認の相談のため厚労省を訪問。その後も数回にわたって訪れ、局長や上村容疑者、前任の担当者らと面会していた。局長はこの間に倉沢被告の目前で電話をかけたとみられる。

 副社長は産経新聞の取材に「局長とは面識がなく電話をもらった記憶もない」。局長は「凛の会についても、倉沢という人物についても心当たりがない」とそれぞれ話している。

 また、特捜部は同日、厚労省発行の証明書や稟議(りんぎ)書の偽造に組織的な関与がなかったかどうかを調べるため、関連先として障害保健福祉部の元部長が理事を務める厚労省の外郭団体を家宅捜索した。

 元部長は上村容疑者が稟議書などを偽造したとされる16年4月当時の上司。外郭団体によると、特捜部の係官に対し、「全く知らない」と関与を否定していたという。

ちょっと長々と引用しすぎたので先を急ごう。ここからは今日の公判から江川昭子竹中ナミツイッター実況を二元中継して立体的に組み立ててみよう。二人のツイッターの原文をそのまま引用するのだが、多少時間軸がずれることがある。ご了承いただきたい。

先ずは江川昭子ツイッターである。

検察側の描いた構図での、石井議員の位置づけをおさらい。自称障害者団体「凜の会」代表の倉沢被告は、昔秘書として務めたことのある石井議員の事務所を訪ね、石井氏に公的証明書について厚労省に口添えしてくれるよう依頼。石井議員が厚労省の塩田部長に依頼し、塩田部長が村木被告に指示(続く)

(続き)村木被告(当時は厚労省課長)が上村被告(同係長)に証明書偽造を指示した――という筋書き。ところが、これまでの公判で、上村被告は村木被告の指示を否定。塩田部長も村木被告への指示や石井議員からの働きかけを否定。倉沢被告だけが「2004年2月午後1時に石井議員と会った」と証言

つまり、凜の会の倉沢被告は石井一参議院議員の元秘書だったらしい。そしてこの倉沢被告の証言である「2004年2月午後1時に石井議員と会った」という部分がこの後に焦点となる。

続いて石井議員の弁護人尋問のあたりを今度は竹中ナミツイッターで見てみよう。

石井氏は弁護側証人なので、宣誓の後、弘中弁護士からの質問で尋問開始。まずは1929年衆議院議員初当選から今日までの経歴や所属した委員会などが語られる。外交、防衛・安保、国土交通、都市開発に関する委員や選対委員長歴任など。弘中弁護士が「厚労省の委員会はありますか?

「いわゆる厚労族議員かということですが」と直截に聞いたので、廷内にちょっと笑い。「厚労委員会に属したことはなかったと思うが、私は何省の族議員でもない」と、ちょっとムッとした口調で石井氏。「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」弘中弁護士の質問が核心に触れ始める。

「勿論!」と、石井氏。「1982年に秘書公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後に私の事務所を離れ、職を転々とした後、弟(石井一二)の秘書になったので、わたしにとっては弟の秘書という印象が強い。」「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」この後、何度も石井氏は、

自分にとって重要人物ではないことを繰り返し述べる。「彼は私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えてるとも聞いたし、失礼な言い方になるが、職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない」インナーサークルの人ではない、という言葉を聞いた時は、なぜだか背筋がゾクッと。

弘中弁護士「では、倉沢氏とどの程度の接触が有ったのでしょう?」石井氏「私は克明に手帳をつける性格で、いつ誰と、どんな要件であって、どう対応したかなどを全て書いている。それによると・・・倉沢氏に会ったのは、2001年1回、02,02年0回、04年2回・・・007年は選挙があり、

それでも6回。つまり平均すると年に 1−2回事務所に顔を出す程度ということです。」と石井氏。「では問題の、平成16年2月25日についてお聞きします。」弘中弁護士の口調が心なしか厳しくなる。「この日の倉沢の手帳には、13時石井一、木村との記述があり、

これが本事件にあなたが関与されてるという疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば・・・」

倉沢被告が石井議員にあったと供述しているその日に、実は石井議員はゴルフに行っていたわけで、その時の記録を手帳にとっているわけである。

ここで少し江川昭子ツイッターで石井議員の証言を補足してみよう。

今日の公判で弁護側証人として出廷した石井議員は、過去40年にわたって自分の予定と実際の行動について克明に手帳に記録している、と証言。04年2月25日は衆議院の予算審理が佳境を迎え、「年金、構造改革の集中審理が予算委員会で行われ、閣僚は全部そこに張り付き。他の議員は予定がなかった」

「なので私はその日成田市のゴルフ場にいました」と述べ、一緒にゴルフをした議員などの名前を挙げました。午前7時頃に自宅を出て、1ラウンドプレーをし、風呂に入って着替えをして4時頃ゴルフ場を出たとのことです。その後は東京に戻り、赤坂の料理屋で議員や業界関係者との懇親会に直行。

そのため、事務所で倉沢被告と会うことはありえない、と石井氏は強調しました。また、倉沢被告が石井氏の秘書になったのは1982年で、翌年の選挙で石井氏が落選したため、務めていたのはわずか1年。その後は、石井氏が参院比例区に鞍替えした時に、ボランティアとして手伝ったくらいの関係

年に1、2回訪ねてくるというくらいの関係だったとのことです。2001年には1回、02年と03年はゼロ回、04年と05年は2回と、会った回数まで石井氏は正確に覚えていました。それは、法廷に来る前に手帳を確認しておいたから。会った人、用件なども、毎日欠かさず、克明に記録してあるそう

というわけで、検察にとっては石井議員の手帳なんぞが裁判で出てきたら大変である。倉沢被告の供述の信憑性が根本から覆されてしまう。

石井議員も検察にこの件に関しては事情聴取を受けているはずであって、検察は手帳があることを知らぬはずはないという疑念が浮かんできたあたりで、江川昭子ツイッターは追い打ちをかける。

石井氏は、捜査段階で大阪地検の前田検事の事情聴取を受けています。そのときも、2004年分の手帳を全部並べて「見ていただいて結構ですよ」と言ったのに、検事はあまり興味を示さず、パラパラを見ているくらいで、その日について詳しく聞かれることはなかった、とのこと。

「今年に入って、弁護士さんから『この日の記録はあるか』と聞かれたので、『ありますよ』と言った。神戸の事務所に電話をして、古い手帳を確認させ、そのページをFAXさせたんです」と石井氏は経緯を説明しました

要するに検察は石井議員の手帳の存在を知ってはいたけれど重要視していなかったようである。

そして再び竹中ナミツイッターに戻る。

これが本事件にあなたが関与されてるという疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば・・・」

石井氏の言葉を受けて弘中氏が「手帳を!」と、裁判長に要請したとたん、検事が「異議あり!」と大声で叫ぶ。公判前整理手続で証拠採用していないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」

安物の法廷サスペンスドラマでもこの様な展開にはなかなかお目にかかれない。この時の検事の耳元ではひょっとするとお寺の鐘が大音響で鳴っていたのかも知れない。心臓が口から飛び出すような気分だったろうなあと思う。血圧の高い人なら命取りになりかねないだろう。

「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中氏が冷静に話し始める。「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材料を提出するのは、当たり前ではないですか?」検事は着席も忘れて弘中氏を見つめている。

「公判前整理手続の段階では、石井氏が克明に手帳に記録をとるかたとは、分かりませんでした。しかし本件で石井氏が事情聴取を受けた時、実は石井氏は手帳を検事に見せているんですよ。検事がきちんと見なかっただけです。石井さん、その時の検事がここに居ますか?」「はい」石井氏が

検事席を見ながら答える「そこにおられる・・・少し太られてメガネもかけておられるので別人のように見えるが、あの方です。」名指しされたM検事、ちょっと顔を赤らめて、俯く。「そのようなワケで、手帳の証拠採用をして戴きたい」弘中氏の言葉に裁判長が頷く。法廷内の左右の壁にかけられた

大きなTV画面に、石井氏の手帳がアップで映し出される。「2004年2月25日・・・この日に丸印がついてますが、これは?」「それはゴルフの日、という印です」と石井氏。「7:56ティーオフと書かれてますね。」しばらく、参加メンバーやスコア、何時頃終わったというような会話が続く。

「この手帳を、あなたは検事に見せたんですよね。場所は?」「大阪のリーガロイヤルホテルでした」と石井氏。う〜む、国会議員を呼び出す時は一流ホテルで話を聞くのか・・・と心のなかでツッコミを入れる。「(事情聴取なので)会話は録音されてるはずですね?」と弘中氏。うなずく石井氏。

その後、手帳を精緻に点検しながら弘中氏と石井氏のやりとりが続き、その日はどのようにしても石井氏が倉沢に会うことは出きなかったことが明らかになった。11時過ぎ、少し休憩がとられ、石井氏は笑顔とドスの利いた声で厚子さんに「初めてお会いしますね」と声をかける。笑顔で一礼する厚子さん。

「初めてお会いしますね」と石井議員が村木被告に言ったところで、検察官が一斉に椅子から落ちてひっくり返れば吉本新喜劇なのだが、流石にそうはしなかったようである。

ここで休廷となり、暫くの休憩の後また公判は続く。ここからはまた江川昭子ツイッターに戻る。

検察官は石井議員の証言を崩そうと必死。一緒にゴルフに行った議員が、当日、国会の委員会に出ていたという議事録を突然出してきた。ところが石井議員、「いい所に目をつけられましたが、議事録には出席してもしなくても、メンバー全員の名前を載せるんです。

なので、そこに載っているからと言って、私と一緒にゴルフをやっていなかったということにならないんです。よくお調べください」

真面目に裁判を戦われている村木被告には申し訳ないが、この石井議員の証言を聞いたときの検察官の表情を想像して僕は爆笑してしまった。しかも弘中弁護士は検察官に追い打ちをかける。

さらに検察官、「その日はインのスタートで……」と言ったところで、弘中弁護士すかさず立ち上がり、「異議!」。それは証拠に出てないと。尋問が終わった後、弘中弁護士が再び立ち上がり、「インからスタートしたと分かっているのは、ゴルフ場に照会をしているんですよね。それを開示してください」

とたんに検察官しどろもどろ。「捜査中です」。さらに弘中弁護士が詰める。検察官は「問い合わせはしたが、証拠になっていない」などと、照会したことを認めました。石井証言が正しいことを、実は分かっていたことを事実上”自白”。けれども「証拠化されたものはない」などと、しどろもどろでした

裁判所は、検察側が証拠採用に反対していた石井議員の手帳を、弁護側の主張通りに証拠採用を決定。検察官は異議申し立てをしましたが、裁判所は退けました

こういう時の検察官の気持ちを、アメリカの法廷ミステリー小説では“He must curse the day he was born.”等と表現する。直訳すると「彼は生まれてきたことを後悔しているだろう」といったところである。

これで江川昭子竹中ナミツイッター実況もほぼ終了となるのだが、最後に江川昭子ツイッターから石井議員が感想を吐く部分を紹介しよう。

裁判の最後に石井議員は「この裁判は検察の倫理、検察の存在(意義)を問うている。検察は善であり公正無私であるとの面目を果たしていただきたい」と述べ、検察が自発的に何らかの責任を取るよう求めました

公判後、記者会見した石井議員は「私のことも(マスコミは)ほとんど犯人扱いだった」「皆さん方は事実に基づかない報道を続けてこられた責任をどうとるのか」「皆さん方の情報のあつめかたはどうだったのか。(検察の)リークでしょ?」など、マスメディアの報道について猛省を促しました

今日はもの凄くかっこよかった石井議員なのだが、マスメディアへの猛省を促しても彼らがこれを報じることはないだろうと思う。

そしてこの事件、どうして大阪地検はここまで暴走しているのか、そのあたりの闇の解明もひょっとしたらあるかも知れないように思うのである。

いくら大阪だからとはいえ、ここまでボケをかます必要はないのに。吉本に入りたければ、ちゃんとオーディションを受けるようにしてください、大阪地検の検事さんたち。

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