鳩山政権発足後101日目

劇的な政権交代劇をみせて民主党鳩山政権が発足して今日で101日である。本当は100日目の昨日、ここまでの鳩山政権の総括をまとめようとしてエントリーを書いていたのだが、昨夕に突然鳩山首相が偽装献金問題の釈明会見を開いたので少し展開が変わってしまい書き直すことにした。その会見の感想も今日の後半に記す。

さて、ここまでの評価は厳しく言うと辛うじて及第点といった感じではあるけれど、初めての民主党政権ということを考えるとよくやっているかな、という感想である。

最初に予め結論を書いておくと、ここまでの鳩山政権の最も偉大なところは個々の政策云々ではなく、未来への期待を国民に感じさせた部分である。これまでの自公政権の執ってきた政策によるどん詰まり感が散って、日本は変わるかもしれないという期待を国民に抱かせたことである。

選挙の時に掲げたマニュフェストをもって政権交代を成し遂げたのであるから、そのマニュフェストを達成することが至上命題といった言い方も間違ってはいないけれど、紙に書かれた政策を実際に施行実施するにあたっては有形無形の障害が発生する。その障害を取り除くには時間もかかることもあるし知恵も必要である。厳しく言うと、鳩山政権ではその部分の詰めが甘かった。

いい例が前原国交通省大臣で、マニュフェストで八ッ場ダム建設中止を謳っていたので中止しますと一方的にやったことを挙げる。中止することはよいのだが、このバカでかいダム建設のために人生そのものをねじ曲げられた人達も多くいるわけだし、このダムの建設で家族を養っている一般の人々もいるのである。彼らの多くは政治的な人々ではない。紆余曲折をもってこのダム建設に関わってしまった普通の人々である。それらの人々の受け皿というセイフティネットを用意しなければ、これは善政の名を騙った悪政となってしまう。

また、このような障害を克服するために政権も努力しなければならいが、国民もそれに協力し時には成就まで忍耐を持って対処せねばならないと思う。

鳩山政権に注文をつけるとすれば、マニュフェストに沿って政権を運営していくことは勿論だが、嘘ばかり垂れ流し国民に真実を伝えようとしないマスコミや、そのマスコミに政権の疵になるような情報ばかりをリークする反政府的官僚をさっさとパージすることだろう。現状ではどのような政策であろうと、異常な反動が巻き起こる。勿論政策に対する反論は真摯に受け止め、時には修正する気概を持つことは重要だが、白いものを黒にしてしまう熱に浮かれた中傷は、どこかで断ち切る必要があるだろう。

その為にはホワイトハウスのように毎日記者会見を行う報道官を設置し、総理や大臣自らの会見を制限してしまうのも一つの手段だろうと思う。新米記者が群がり、つまらない風説に基づいた質問を浴びせるぶら下がり会見などとっとと中止し、政府からの情報の出所を一元化する。またそれをあらゆる報道メディアにオープンにして、報道の偏向自体をなくすようにするべきだろう。

マスコミので世論調査では、鳩山政権にあまり期待できないといった結果が示されるのだが、相対する自民党の評価が地に張り付いたまま動かないことからもわかるように、鳩山政権は既に日本のオンリーワンとなっている。その鳩山由紀夫が失脚しても管や岡田が代わりに政権を作るだけの話で、彼らは同じマニュフェストで選挙を戦ってきたもの同士であり、鳩山由紀夫と多少の違いはあるだろうけれど本質的には同じ政策を受け継ぐはずである。指導力がないとか、気にくわないからといってこれを変えようとするよりも、現状の鳩山政権を国民が育てていくことの方がずっとリーズナブルだと僕は思うのである。

そして昨夕、鳩山首相にとって最大の危機があった。これは今年の6月に自身の資金管理団体政治資金収支報告書虚偽記載問題が明らかになり、24日に東京地検特捜部によって勝場元秘書ら側近二人のの立件が決まったのである。鳩山首相自身の関与による責任追及は見送られた。

この事件では、鳩山首相の政治献金の一部は故人からの献金として記載されていた。また母親から受け取った数億円の資金について、資金管理団体が申告もせず税金も払わなかったことで非難を浴びている。

この立件を受けて、鳩山首相は首相としてではなく一衆議院議員として釈明会見を開いた。昨日の夕方6時のことである。その時の模様はビデオニュース・ドットコムのサイトでまるまる見ることが出来る(一部音声と映像が乱れている)。また、朝日新聞のサイトなどではテキストに起こしてあるので概略になるが内容を読むことも出来る。

ここで鳩山首相が述べている釈明に関しては、これまでも散々してきた釈明と同一のものであって新味はまるでない。そして詰めかけた大手メディア記者からの質問も、取り立てて取り上げるほどのものはなく想定内のものばかりだった。しかし、非記者クラブの記者からの質問になると俄然面白くなっていったのである。

大手メディアが内容が同じ質問を被らせて質問するのに対し、非記者クラブ側は少し横軸に広げた質問を繰り広げた。それは当然のように記者クラブ解放問題や検察や警察の取調べ可視化などに絡めたもので、既に結論までわかっている予定調和的な会見を意味あるものにしたと思う。

特に日本インターネット新聞(JanJan)の田中龍作記者の質問は鋭く真を突いていたと思う。その田中龍作氏のブログにその時の模様と感想があるので引用してみる。

「首相の言葉の軽さ」を指摘する向きが、このところ多くなった。代表例を挙げると「秘書のやったことは政治家の責任。私だったら国会議員を辞職する」「民主党が政権を取ったら記者会見を開放する」。いずれも言行不一致だ。筆者はこれらついて鳩山氏に質した。

「軽いと言われれば反省しなければならない」「記者会見は来年から開放するように申し伝えている」。首相はこう述べたうえで「どうせ信じて頂けないかもしれませんが…」と“泣き”を入れた。場内から失笑が漏れた。

田中氏の感想はさらに続く。

麻生前首相だったら開き直っているところだ。『自らの非を率直に認め“泣き”まで入れる鳩山という人物は、善人過ぎて政治家には向いていないのではないだろうか』。筆者は直感的に思った。

厳しい質問を浴びせられ放しの記者会見は1時間10分続いた。「ではこれで鳩山由紀夫衆院議員の記者会見を終わります」。司会役の奥村展三民主党総務委員長が締めくくった。坊ちゃん育ちで人の好さそうな一人の議員が、疲れきった表情で会見場を後にした。総理特有の威厳や倣岸さはカケラもなかった。

こうした厳しい感想を読んで、だから鳩山は駄目だと感じるべきか、或いはだから鳩山をもっと育てようと考えるべきか、それは個人の自由である。そして僕はどちらかというと後者の考え方である。

政権交代をし100日たって、このような試練に見舞われ、何とか危機を乗り越えようとしている。お坊ちゃまと言われ統率力の無さを指摘され、実際に閣僚はバラバラにやりたい放題である。そして自分は秘書が立件され記者会見でサンドバッグ状態にされる。さぁ、ここから這い上がれ、這い上がってみよ、というのが僕の考えだ。まだ修正はきく。本当に捨て身になってやれるかどうかで次の一年の評価が定まる。来年はこの100日のような甘っちょろいことでは立ち行かなくなるのだから。