三権分立の幻想

暫く自身の怠惰からブログの更新を怠っていた。もうすぐ鳩山由紀夫内閣が発足して一ヶ月になろうとしていることもあるし、そろそろゆっくりだけれど更新を再開してみようと思う。手前勝手な話だが、更新をサボっている間もこのブログのアクセスは増え続けている。といってもまだまだ大したことはないのだが、始めた当初の寂しさと比べれば雲泥の差である。このような小さなブログにまでわざわざ目を通そうとやって来られる方々には改めて感謝すると共に、その熱意にこの国の将来を思う志を感じるのである。

さて、10月12日に小沢民主党幹事長は、鳩山内閣の政策決定を閣僚ら政府内の議員に一元化する考えに変わりはないことを改めて強調した。この日、党本部で党国会対策幹部と会い、官邸と党で検討する妥協案について「必要ない」と語った。

政策決定の一元化「妥協案、必要ない」 民主・小沢氏 (asahi.com 10/13)

その少し前の10月10日、衆議院議長に就任した横路議長は、札幌市の会合で鳩山政権が進める政策決定の政府への一元化を強く批判していた。

政策一元化は「独裁国家」 横路議長、小沢氏に苦言 (asahi.com 10/10)

これは一体何の議論なのかというと、鳩山由紀夫政権においては法案提出は原則的に政府提案に限ることを決めたことが色々と誤解を生んでいるのである。そして最も誤解をしているのは、多分横路議長ではなく、これを報じるマスコミである。

民主、議員立法を原則禁止 全国会議員に通知 (asahi.com 9/19)

これは一体どういう問題なのかというと、上記リンクの最初に書かれている内容を咀嚼するとわかりやすい。「政府・与党の二元的意思決定を一元化するため、議員立法は原則禁止し法案提出は原則政府提案に限ること」を決めたというわけである。

政府・与党の二元的意志決定というのは、政府は行政府であり、与党は立法府であるというのが一般的な見解だろう。だから、この問題では立法府の議員に議員立法を認めないとは横暴である、といった感想を持つことが多いだろう。

しかし、それは与党が立法府であるという理屈が屁理屈であると気付いたならば、霧が晴れたようにクリアーに周りが見渡せることになるだろう。

日本は三権分立だと学校で習った人は多いと思う。行政、立法、司法の三権が分立し、それぞれが独立していて他の分野を侵すことは出来ないのだと、日本人なら授業で教わるはずである。でも、この行政と立法というのは、同じ国会議員で構成された与党の中にあるわけだ(社民党国民新党という連立もあるけれど)。

つまり鳩山由紀夫内閣であれば、行政を行う内閣と、立法府の議員を擁する民主党の関係になるのだが、この二つは一体化していて、相互に行き来が為されているのである。何せ立法府の国会議員の選挙によってその中から首相が選ばれるのだから当たり前である。首相とはいえ立法府の国会議員の一人でもある。閣僚も同様。つまり鳩山由紀夫内閣自体が立法府の中にある。それを強引に分けると無理が出ることは簡単に予想がつくだろう。

これは議院内閣制をとるイギリスにおいても同じことで、あちらでは三権分立という考えはなく、司法だけが独立しているといった認識である。一方で、アメリカにおいては事情が異なり、大統領というのは議員選挙で選ばれるわけではなく、また国会議員である必要もない。だからアメリカでは大統領は行政を担当し、議会は立法をといった具合に役割を分けることができ、これに司法を加えて原則的に三権分立の形となる。(参考:「日本の難点 宮台真司幻冬舎新書)」

だからここで小沢幹事長が言っている「鳩山内閣の政策決定を閣僚ら政府内の議員に一元化する」という考えは、極めてイギリス的に議院内閣制の本筋を言っているだけのことな訳だ。

自民党政府の時代には、行政にせよ立法にせよ、そこに深く官僚が関わってきた。閣僚は官僚の用意したレールに乗っかるだけの操り人形であればそれで良く、国会は法律を審議し作成する場ではなく、議員同士のパフォーマンスの場でしかなかった。

一方で民主党政権は官僚支配の排除を目指している。そうなると今まで政治家を操っていた官僚が排除されるわけだが、排除すると本来の行政府と立法府の姿がクリアーに見えるようになるだろう。

まだ国会が始まっていないのでこの点をわかっている人にしか見えない事柄が、小沢幹事長あたりにははっきりと見えている。要するに幻想にしか過ぎない三権分立に拘ると、本来同じであるのに強引に分けられた行政と立法間のやりとりが煩雑化複雑化し、スムーズな流れを妨害し停滞させてしまうのである。

もうすぐに国会が始まろうとしている時期に、小沢幹事長がこのようなことで口を挟むということは、それなりにハラハラしながら今後の国会に気を揉んでいるのだろうと思う。些細な原理原則論の話でしかないのだが、原理主義者と言われる岡田外務大臣以上に原理主義者的な側面を持つのが小沢一郎である。あとはこの小沢一郎の気持ちを、どれだけ民主党議員が理解するかという点であるが、これはまだ未知数である。またマスコミが相変わらず何も考えていないこと、何の解説もない上記リンク先の如しである。