鳩山政権とはどのような政権なのか

9月16日に発足した鳩山由紀夫政権だが、先日ようやく一ヶ月が経過した。

この一ヶ月を思い起こすに印象に残るのは、先ずは自民党の凋落だろう。総裁選を行い谷垣禎一氏が新総裁となったのだが、話題はそこで完全にストップしてしまった。もはや市井の口に自民党という言葉が上ることもほとんどなく、民主党に埋没したというより、存在そのものが消えてしまったかのようである。

自民党は復活を期するにあたって何よりも先に老害を排除せねばならない。でなければ新生自民党とは誰も呼ばないからである。しかしその老害の談合によって選ばれた感のある谷垣新総裁にその任はあまりにも重いことだろう。しかも谷垣新総裁は早速見当違いの演説を行って自らの見識の貧弱さを晒してしまった。

谷垣氏「鳩山政権は社会主義」街頭演説で保守の理念強調 (Japan Press Network)

上記リンク先で谷垣総裁は、「民主党社会主義のような政策を目指している」とし「自民党保守主義の原点に立ち返る」としている。過去の自民党の政権こそが社会主義的な政策を採り続けていたことなど忘れてしまったかのような新総裁の言葉に、自民党の復活はさらに遠のいたという感慨を持った。また保守と社会主義などという言葉を使って対立軸を作ろうとする手法そのものが、もはや21世紀の潮流からかけ離れた時代遅れのものであり、今の時代にこのような思想を露呈することには哀れみさえ覚えてしまう。

どうしてここまで強く非難するかというと、保守と社会主義といった対立など日本人は既に乗り越えたように思うからである。国内政局ばかりを見ていると、そのような古い価値観に囚われることに安堵を覚えるのだが、一方で世界の流れの中で日本を位置づけると時代錯誤のアナクロ思想であることに気付かされることになる。

まず社会主義という体制はソヴィエト連邦の崩壊によって一応終了したということになっている。中国がやっていることは独裁政権下での管理資本主義であるし、いまだ社会主義政権が残っている国も実態は独裁政権である。キューバが最も成功した社会主義モデルではないかと思うのだけれど、経済面では明らかに破綻していて、これを追う国など今はない。

社会主義の代わりに重用され始めたのが所謂リベラルという思想で、イギリスの労働党アメリカの民主党が掲げる「大きな政府による手厚い福利厚生」などが特徴である。しかし労働党出身のブレア元イギリス首相や民主党出身のクリントン元米国大統領の政策は国民の福利厚生を必ずしも重要視していなかった。それよりも金融工学の方が幅を効かせていたのである。

鳩山政権の子育て支援であるとか、再就職のための訓練補助や、後期医療制度の終了、高速道路料金無料化などは、一見すると大きな政府が福祉等を充実させようとしているかのような印象を受けるのだが、一方で鳩山政権は八ッ場ダムなどの建造を中止させようと動いてもいる。つまり大きな政府お家芸である公共事業の大判振る舞いに対しては一貫して反対の姿勢を貫いている。(マスコミは鳩山政権の主要政策をバラマキといって批判しているが、本来バラマキという言葉は不必要な公共事業を強引に興すことに対して使われてきた言葉であって、国民に直接利害を及ぼす福祉や医療などに使うべき言葉ではない。)

そう考えると、鳩山政権はルーズベルト大統領の行ったニューディール政策などとは違った方法論を持つ政権であると言えるだろう。大きな公共事業を興して雇用を確保し景気を上向かせるのではなく、政府の使えるお金を火急に必要とされている場所に改めて振り分けることを第一にやっている。

こうした鳩山政権はどのような政権なのかというと、最もイメージとして近いものはお医者さんではないかと思う。つまり傷み疲弊した国を治療するために、最も傷の深い場所を重点的に診察し治療を行うといった形ではないか、と思う。その疾病箇所は地方のダムや橋などではなく、医療や年金や教育であるという診断を鳩山政権は行った結果優先順位を決めたわけである。

そうした鳩山政権の姿を頭に入れて、もう一度谷垣自民党総裁の言葉に戻ると、保守と社会主義といった対立軸がどれほどトンチンカンなものであるか理解できることだろう。

では鳩山政権にはベースとなる政治思想がなくただ国民への奉仕だけを行っているのか、というとそうではなく、実は保守であるとか社会主義であるとかリベラルであるとかといった従来のスタンスを超えた立ち位置を見ることが出来るのである。

それは「親アジア主義」と「親米主義」と呼ばれる違いだろう。「親アジア主義」を鳩山政権に、「親米主義」を過去の自民党政権に当て嵌めたら実にすっきりと見渡すことができる。

まず日本はアジアの一員であり、古くからアジア各国との交流がある。日本は加工貿易を主力産業としているのだが、その相手国は昔はアメリカだったのだが、現在では中国をはじめとするアジア諸国にシフトしてきている。また何より日本のアジアシフトに対するアジア各国の期待値はかなり大きい。

当面はアジアと米国という二極主義をとり、徐々にアジアへ比重を移すのが日本の中期的な国家プランとしては有望だろう。

このアジア主義の関門は米軍の軍事力である。核の傘などと言って、核廃絶を唱えながら自身は米軍の核ミサイルの庇護下にいるという現状は親アジア主義では許されないだろう。米軍の軍事力の庇護が外れたら、自前で重装備の軍事力を揃えなければならないだろう。それに対する周辺国の反発もあるだろうし、国内でも平和アレルギーが巻き起こることだろう。核の保有も現状ではまず無理である。民主党政権が安易に重装備軍隊を持つことにはならないだろうけれど、「親アジア主義」に向かうにあたって難所は多い。

しかし、もはやアメリカという国家自体が疲弊し、嘗てのように軍事力で日本をその影響下に留めておくことは予算的にも不可能となってくる。米軍は日本の基地を手放したくはないが予算がなく、日本も思いやり予算に回すほどの余裕はないのだから、いずれは何らかの妥協点が現れるだろう。

その時どのような動きが起こるのか僕などには予想も付かないのだが、就任以来の鳩山首相の外交を見ていると、この人は緩やかに「親アジア主義」を目指そうとしているのだろうな、という感想を強く持つのである。そしてそれこそが鳩山版のニューディール政策に化けるのではないかという予感を持っている。

現在マスコミを賑わせている数々の国内問題は実は最重要な案件ではなく、鳩山政権の目指す頂上はここにあるのだろう。政権交代明治維新以来の革命であったとするならば、このような国家のグランドデザインの変更はあって然るべきだと思うからである。

もう一度話は振り出しに戻るのだが、今になっても保守であるとか社会主義などと言って憚らない野党自民党の未来は暗い。多分このまま消滅に向かうのだろう。