漆間官房副長官の辞任にマスコミ各社は御挨拶しないの?

僕が中学生だった頃、生活指導の先生におっかないのがいた。廊下で擦れ違っては怒鳴り、階段を昇っていたら文句を言い、何かあると職員室で延々とお説教し、時には廊下に立たされ他の生徒の前でビンタするのである。今ではそんな先生は滅多にいないのだろうけれど、昭和40〜50年代にはまだそんな教師がいた。

どの生徒からも恐れられていたというか、実は本心ではバカにしていたんだけれど、当時の教師というのは学校内では絶対的な権力を持っていて、生徒に大怪我させない限り多少のことは父兄から大目に見えてもらえた。というより、逆にこのような“指導”を推奨されてさえいたように思う。あくまで僕がその時代過ごした地域に限っての話だけど。

卒業して何年も経って、風の噂でこの生活指導教師の近況を聞いた。その年の卒業式で、卒業生に担ぎ上げられプールに落とされたという。老体に3月初旬の冷たい水は辛かったろうと思ったけれど、不謹慎ではあるが笑いが止まらなかった。まぁ、プールくらいで済んでよかったねえ、という感想を持ったものだ。

さて、昨日の記者会見で官房副長官である漆間巌氏が辞任を表明した。鳩山由紀夫内閣がいよいよ発足しようとする直前の敵前逃亡である。

漆間官房副長官というと思い出すのは例の西松事件である。あの時「西松建設をめぐる捜査は自民党には及ばない」とオフレコの記者会見で言ったとされる。

どうして小沢一郎の秘書だけが逮捕されて、自民党側は捜査すらされないのかという疑問に対して、官房副長官という官僚のトップがぬけぬけとこう発言したのである。

この発言により、西松事件国策捜査であり、時の権力側による恣意的な野党潰しであるとの認識が一般にも一挙に広まったわけである。何せ前官僚のトップが捜査範囲などの詳細を事前に知っているわけだ。

民主党もこの発言を重視し、すぐに衆議院予算委員会で鈴木寛議員が質問に立った。しかし漆間官房副長官は、オフレコ会談という「メモ、テープを採らないというルールに基づく場で発言したものという認識を示したうえ、3人の秘書官と自身の記憶では一般論を述べたもので、そう述べていないとしたものの、『記者がどう受け取ったか、認識がどうだったかは言えない』と答えた。

しかしマスコミ記者達は、漆間官房副長官が「西松建設をめぐる捜査は自民党には及ばない」と言ったから記事を作ったのである。勿論オフレコの場だったので、漆間官房副長官という個人を特定できる書き方をせず、政府高官が、などといった書き方をしたわけだが。そのようなことを言える立場にあるのは官房副長官しか考えられず、また漆間氏が警察官僚出身であるから容易に特定できたわけである。

そして予算委員会という国会の場で、漆間官房副長官は「一般論を述べたもので、そう述べていない」とオフレコでの発言を否定した。つまりマスコミの書いた記事は嘘ですよ、と言ってのけたわけだ。

苟も報道機関が嘘つき呼ばわりされたら、それは家屋に火をつけられたと同じことである。すぐに消化し放火犯を捕らえなければならない。しかし、マスコミ各社は黙って耐える道を選んだ。官房副長官に嘘つき呼ばわりされ、何も言い返さずご機嫌を伺う卑屈な姿勢に終始したのである。

その漆間官房副長官が辞任するという。西松問題などを影で指揮してきたという噂は本当なのかどうか、今こそマスコミは己の威信をかけて調査し報道しないとならない。得意の有識者とか評論家とか、頭に御用が付く連中にでも、この時の漆間官房副長官の答弁は疑問がある、と語らせてみせればよいのだ。

先に書いた生活指導教師の例はともかく、これまでお世話になった官房副長官退任の御挨拶をしなければ、真実を報道する社会の木鐸たる報道機関としてメンツが立たないのではなかろうか。それともこのままこれまでの卑屈な報道姿勢を開き直ってみせるだけなのだろうか。

仕返しを恐れる必要はない。今の自民党の為体を見たら暫くは大丈夫なはずである。

これはマスコミにとって、今までのヘナチョコ報道から脱皮するチャンスなのである。つまらない閣僚人事報道に明け暮れたここ数日間の報道を見やりながら、少しだけ期待もしているのだが、どうだろう。