衆議院議員選挙結果に思う

20090831075226

上記の選挙結果について今更何も書くまい。見れば分かることだ。

そしてその選挙結果について、「これは民主の勝利ではなく、自民の否定ととるべきだ」とか、「風が吹いただけ」などという意見もある。そしてそれら軽薄な意見に左右される軽薄な輩がいる。

しかし、そのような意見に惑わされるべきではない。軽薄にならず、広い目で周りを見回すことだ。

この選挙結果は、日本人が自らの意志で勝ち取ったものなのだ。日本人が失おうとしていた自信や誇りを、土俵際で踏み留まって自らの体制を立て直し、もう一度掴み取る意志をみせた結果なのだ。

バブル経済が崩壊し、その後「失われた10年」と言われた期間が過ぎ去ってもいまだに経済は復興せず、さらなる不況のスパイラルに日本人はもがき苦しみ続けてきた。何時しか自らの誇りを失い、人を人と思わず、自らの利益だけを最優先にする社会で、にっちもさっちもいかなくなってしまったのである。そして、漸くその間違いに気がついたのだ。

だから新聞やテレビがどれだけ民主党マニフェストを攻撃しようと、自民党が民主は安全保障政策で崩壊するとか、財源のないバラマキ論などと言っても同調しなかった。逆に、ここまで社会を荒廃させた自民党公明党への怒りだけが沸々と沸き起こったのである。

民主党が漸く成長し、国民の怒りを受ける止めることのできる器になったと気がつき、そして投票したのだ。決して自民を否定するために民主に投票したといった消極的な理由ではない。ましてや一時的な「風」といったものでもない。社会を変えて欲しいという切実な願いが込められたのだ。

麻生総理始め自民執行部は、最後まで国民の思いに気がつかなかった。或いは気がついても、旧来のしがらみの中で何も変えることができなかった。だから国民は、しがらみのない、社会の変化を担うことのできそうな民主党へと投票したのだ。

ニューズウィーク日本語版のサイトに共鳴できるコラムがあったので、ここにリンクする。ニューズウィーク日本語版は小泉政権時代はひたすら新自由主義を煽る記事ばかりを書いていた、アメリカ共和党政権べったりの内容だった。今もその反省のない記事ばかりが目立つのだけれど、このコラムを読むと少しずつ変わってきているのかも知れないとも思う。

「民主308議席」の民意とは? 冷水彰彦 (ニューズウィーク日本語版WEB)

 確かに表面的には「官僚組織や自民党政治の一方的な姿勢への怒り」であるとか「格差の拡大への不安」といったものも明らかでした。ですが、今回の「308議席の民意」には「全員が等しく貧しくなれば一安心」とか「これ以上の苦労は省略して中国の下請けでも生きていければいい」という後ろ向きのメッセージはない、そのことだけは確認しておくべきだと思うのです。「日本が急速に貧しくなるはずはない、何かが間違っていた」という民意の「核」というのはそういうことです。

 90年代以降、自民党と財界が指向してきた「成長路線」は、自国の競争力がなくなる恐怖に駆られる中での負け戦だったのあり、それが今回の「民主党308議席」という民意の怒りになった、そう考えるべきです。今から考えると規制緩和理論もそうした恐怖の負け戦であり、それ故に敗北したのです。例えば、国際市場の中での金融工学にしても、人材育成を含めて勝ちにいく戦略はなかったのです。アメリカのMD開発に巻き込まれたのも、民需では負けるという恐怖から軍需に走った財界の「弱さ」ゆえだと思います。

いつの間にか負け犬になることを上から強制させられていたのが日本人の現実であり、盲目的に従いながらも何かがおかしいと感じていたのも日本人の現実だったのである。その鬱積したパワーを一時的ではあるが開放したのが今回の民主308議席だったと思う。

政権交代は目的ではなくスタートである、と民主党幹部は口を揃えて言う。これはそのまま、日本人が知らぬ間に失ってきた、自信や勇気や誇りを取り戻すスタートラインでもある。それが僕なりの、今回の選挙に対する総括である。

日本人は自らの手で政権を替えることができたのである。勿論これからが苦労の本番なのだが、先ずは難攻不落とされた大きな門が開いたのである。