小沢一郎は真剣を使った勝負をしている

2005年の郵政選挙の時、自民党衆議院議員郵政民営化に反対した人達は、党の公認をもらえず、離党する形で各々が選挙戦を戦った。ある者は単独で、そしてある者達は集まって新党を結成し、衆議院議員選挙を戦い、当選したり落選したりしたのである。

単独で戦ったのが平沼赳夫野田聖子等で、後に野田聖子をはじめとしてその大部分が自民党に復帰していった。一方で亀井静香綿貫民輔らは国民新党という政党を作り、これは民主党と連携している。

また、自民党から飛び出した渡辺善美は小泉チルドレンと呼ばれる者の一部等を連れて、みんなの党という名前の政党を立ち上げた。(それにしても酷い名前の政党だ)

民主党との連携を最初から見据えていた国民新党はともかく、平沼グループや渡辺グループがこの選挙以降、どのような動きをするのか不明である。彼らは自らの意見を叶えてもらうのと引き替えに自民党に戻るのか、民主党と連携し自民党に弓を引く覚悟があるのか、その態度がはっきりとしない。

すると昨日、小沢一郎が動いた。平沼赳夫の選挙区に東京出身の弁護士、西村啓聡氏(33)を対抗馬として擁立するという。その理由として「(平沼氏は)国民主導の政権をつくる行動に踏み切ることは困難なようだ」と批判した。また、みんなの党の実質ナンバー2とされる江田憲司氏の選挙区にも公認候補を擁立する予定だという。

このニュースを聞いて、久しぶりに背筋がぞくっとするのを感じた。平沼グループにせよ、みんなの党にせよ、対立候補を立てなければ、衆議院選挙後に民主党との連携の可能性があるかも知れないのだが、小沢一郎は情け容赦なく切り捨ててしまったのである。しかも、彼らを国民主導の政権を作ろうとはしない人々、つまり自民党の別働隊であろうと看破してみせた。

小沢としても、平沼の選挙区で簡単に勝利できるなどといった甘い考えはないだろう。しかし、選挙戦も後半に入ったこの時期になっても、自民と民主の間を行ったり来たりするようなみんなの党とか、或いは含みを持たせるだけの平沼赳夫に対し牙を剥いてみせたのである。この期に及んで自民党に色目を使っているかのような連中は、こちらから願い下げだと言ったのである。

自民党時代から選挙といっても、強力な地盤があり、地元支持者が支えてくれて、ぬるま湯状態の選挙が常だった連中に、小沢一郎は真剣を抜いてみせた。生きるか死ぬか、そのぎりぎりのところをあえて晒そうとした。

こうなると平沼や江田や渡辺は、例え選挙で当選しても、議員であることの大儀がなくなる。民主党から弾かれてしまったから、彼らの行く道は自民復帰か、第三極と言うにはあまりにショボイ無所属とかみんなの党しかない。これでは国会で何の発言も出来ず、椅子が一つあることだけが存在理由の議員でしかない。つまり、反民主親自民なくせに自民ではないという、説明困難な状況なのである。

だから、彼らは残りの選挙期間、その存在理由を有権者に説明しなければならない。自分たちが国会で何の発言も出来ないのに(会派に入らなければ質問すら出来ないというのに、今更どの会派に入るというのか)、自分たちを国会に送り込むことにどのようなメリットがあるのか、分かりやすく説明しなければならない。そして彼らの選挙区の有権者は、彼らの言う言葉を何度も咀嚼せねばならない。彼らが国会で出来ることを想像しなければならないのである。

小沢一郎が仕掛けたこれら対立候補擁立劇は、その選挙区の成熟度を測るリトマス試験紙でもある。国会というものをどう考えているのか、日本という国の将来をどう考えているのか問われることだろう。この選挙は日本が初めて経験する、民衆の力による政権交代という要素が第一義である。この意義は無血革命に近い。小沢は国民にその意義を問いかけているようなものなのだ。

40日間に及ぶ選挙戦も、中日になってやや中弛みのような気配を感じていたが、真剣を抜いた小沢の問いかけを理解できたならば、いよいよ無血革命が成就されることだろう。ただの衆議院議員選挙などでは決してないのである。