前原誠司の終焉

安倍元首相は17日午後(日本時間18日未明)、ワシントンの政策研究機関「ブルッキングス研究所」で講演し、「一緒に(ワシントンに)来ている前原誠司副代表が、もし民主党政権になって首相をやれば、自民党と(政策的に)ほとんど変わりがないと思う」と述べた。民主党政権が誕生した場合の日米関係への影響について、米国人ジャーナリストの質問に答えた。
 安倍氏は、民主党の小沢代表が在日米軍は第7艦隊だけで十分とした発言を取りあげ、「民主党はよく言えば意見の多様性がある。現実を言えば、統一された政策を持っていない」と批判した。(4月18日の読売新聞による)

安倍晋三憲法改憲をとなえ、核武装も辞さないと唱える連中と一緒になって「美しい国」をつくろうとしている右翼イデオロギーの政治家だ。あの従軍慰安婦問題で米国議会を怒らせた政治家だ。何よりも、訳の分からない理由で施政方針演説直後に首相職を放り投げた無責任な政治家である。とっくに引退していなければならない政治家だ。そんな政治家に核廃絶の親書を携行させてどうする。(天木直人氏のブログによる)

さて、上記抜粋を読んで、前原誠司という政治家はいよいよ終了したのではないかという印象を持った。前原誠司というと小沢一郎の前の民主党代表を務めた人で、松下政経塾出身の政治家である。

この松下政経塾というものは故・松下幸之助が自分の政治理念を実現するために起こした政治組織であり、若くて優秀な塾生を政治家として育て、議会に送り込むことを行っている。

その故・松下幸之助の理想とした国家とはどういうものかというと、これは企業からの税金のみで国家運営を行い、国民は無税で生活できることを理想とするという。いかにも戦後高度成長期の企業家らしい発想である。

僕にはこの理想は国家が企業を統制し、それゆえ左翼的な思想にさえ思えるのだが、どういう訳か松下政経塾出身の政治家をみると、新自由主義を唱える者が多いように見受けられる。新自由主義はブッシュ=チェイニーから小泉=竹中に至るまで、持つ者がより栄え、持たざる者は幾世代も持たざる者のままでいることを宿命づける政策である。

前原誠司もそのような政治家ではあるまいかと思うのである。小泉首相や小池元防衛大臣などと会食を共にした席で、小泉元首相から「ここに将来の首相候補がいる」と持て囃された話などは有名で、そういえば前原誠司民主党代表職にあるときから、小泉元首相は前原氏とは政策の違いが無いと訴えていた。

この時点で自民党と対峙する最大野党の党首として舐められたものなのだが、本人は満更でもないようで、こうして安倍元首相なんぞに同行して米国にまで行き、煽てられているのか馬鹿にされているのか分らないようなことを言われているのである。

安倍元首相が政治的に既に終わった政治家だとすれば、前原誠司も既に終わった政治家である。このように自民元首脳陣から持ち上げられていること自体、自らの死体に唾を吐かれているのだとどうして気がつかないのだろう。

マスコミが前原誠司の発言を好んで取り上げるのは、反小沢一郎的な意見を民主党内部から思う存分ぶちまけるワイドショー的な面白さがあるからであって、反小沢一郎なマスコミの策略に嵌っているだけなのである。

一時期余りに節操なく首脳陣批判ばかりを繰り返すので、民主党内部から党を離れるように糾弾され、その時は流石に大人しくなったこの小心者は京都が地盤で、僕も京都を訪れると町のあちこちにポスターを見かける。そのポスターを見て、この人は一体民主党で何をしたいのか常に疑問を感じるのである。