泣いても笑っても日本人の責任

4月12日に投開票された秋田県知事選挙に於いて、民主党県連国民新党らが支持した候補者が自民社民推薦の候補に敗れた。この政党推薦の入り乱れぶりを見ると民主党が直接の敗因であると結論付けるのには無理があると思うが、報道各社は相変わらず小沢一郎が代表職に留まっているのが原因と極めて無責任な風評を流している。

それ以前に行われた世論調査では民主党の指示率が減り自民党が増え、麻生政権への信任が増したと報じられた。よく数字を見ると、麻生政権への信任は僅か数パーセント上がっただけで、大して騒ぐ数字ではないのだが、マスコミは鬼の首を取ったようにはしゃいで放送している。

しかしその一方で、自民中心の政権と民主中心の政権のどちらを希望するかという設問には、民主中心の政権を望むという答えが圧倒的に多く、日本人は本当は自民党政権に飽き飽きしていてこの閉塞感の詰まった現状に変化を求めていると思われる。その変化は民主党による政権交代に期待しているようである。

こうした世論調査を見ると、「小沢代表は嫌だけど民主党政権が出来て欲しい」という声が現状の世論ではないかと思われる。

小沢一郎が代表職に留まる是非については、このブログでも何度か書いてきた。霞ヶ関の官僚組織に対抗しうる政治力を発揮できるのは小沢一郎しかいないのである。そのことを官僚の誰もが知っている。小沢一郎が本気で霞ヶ関改革を行うと自分たちの権益が削がれること明白なのである。だから小沢一郎を追い落とそうとしている。

またマスコミも小沢一郎のマスコミ嫌いを知っている。新進党幹事長時代の記者会見で朝日新聞記者に嘘ばかり書く朝日新聞と名指しで非難したのは小沢一郎であるし、日本記者クラブの存在にも否定的である。日本記者クラブがないと、真面目に取材できない新聞社は特オチの嵐が待っている。日本記者クラブの解体はマスコミにとってチャンスなのだが彼らは変化を何よりも嫌うのである。

3月8日のサンデープロジェクト田中真紀子が出演し、小沢一郎公設第一秘書逮捕事件の直後だったこともあり、大変重要なコメントを多数残した。その中で最も重要なメッセージは、この公設第一秘書逮捕事件によって日本人のマチュアが試されるというものだろうと思う。マチュアとは“mature”で「成熟する」「大人になる」という言葉を意味する自動詞である。文意からすると“maturity”という名詞の方が相応しいと思うが、田中真紀子の言葉は常に分かりやすさを第一にしているのでこのままでもいいのだろう。

自民党員であり自民党より莫大な政治献金や選挙資金援助を受けていた森田健作を知事に選んだり、テレビや新聞の捏造報道を信じたりすることは民主主義の未成熟を示している。マスコミは東京地検特捜部が関係者としてリークした出鱈目をそのまま報道し後は知らん顔を決めている。それでいて責任をとろうともしない。こういうのを厚顔無恥という。

僕は日本人の未成熟はマスコミにかなりの責任があると思っている。彼らは第二次大戦前夜、政府発表をありがたく報道し国民を戦争に導き多大な犠牲を強いた頃と何ら体質は変わっていない。彼らはまた繰り返している。そして国民はそれに騙されている。多くの国民はそんな無責任な報道でしか国政を知る術がない。この現状で国民の成熟は極めて難しい。

だから一挙に政権交代を実現すると、これまでとは違う局面が国民に見えると思うのである。自民党政権では聞くことのなかった本当の日本の姿を見ることになるだろう。日本の外交がどのようなものか、日本の財政がどのようなものか、そして日本人の未来がどのように歪められてしまったのか知ることになるだろう。

真実を知ることによってこそ成熟は始まる。その一点だけでも政権交代は必要なのである。次の衆議院選挙で民主党単独過半数をとらなくても参議院の関係から政界は混沌としやがて緩やかな政権交代に向かうことになるだろう。しかしどうせならドラスティックな変化を見た方が成熟は早まる。そしてそれこそ日本人の責任だと思う。