週刊文春対談「小沢一郎の賭け」

現在発売中の週刊文春4月9日号に「小沢一郎の賭け」という対談が載っている。対談を行っているのは櫻井よしこ氏、郷原信朗氏、上杉隆氏らである。(以下敬称略)

情報というものはついつい自分の意見に与するものが集まってきがちになるものである。いまだにテレビや新聞などでは「小沢一郎=悪」といった図式を前提にした報道モドキが行われているのだが、活字媒体では段々と冷静に現状を直視したものが出始めてきたと思う。この週刊文春の対談を読んでその感を強くした。

タイトルの「小沢一郎の賭け」という意味が何なのか伝わってはこないのだが、これはきっと代表辞任を行わずこのまま民主党を選挙戦に導き、さらにそれに勝って政権交代を実現しようとする戦略のことを指していると思われる。

確かにこれは表面的にしか物事を見ない人には賭けのように見えるのかも知れない。しかし、仮にこの賭けに勝利を収めたらどうなのかを考えてみると、これはとてつもなく強力な政権が出現することに気付くだろう。少なくとも現在の官僚主導型政治というものは瓦解するだろう。そのことに気付き始めた人々、あるいは当初から気付いていた人々、そんな人々が徐々にではあるが復権し始めている。これは注目すべき現象である。

さて、この対談なのだが、基本的には櫻井よしこによる「民主党は駄目」という論調がベースになっているのだが、そこに郷原信朗の「検察の暴走」論が待ったをかけるのである。その結果何が露わになるのかというと、「民主党は駄目」という論旨がイメージを元に組み立てられた程度の低い論理であるという事実である。

例えばこの対談で櫻井よしこが「小沢氏は2年前、政党助成金を含む政治資金で不動産を買っていたことが発覚し、国会でも追及されました」「私利私欲のためとしか見えず。小沢氏への失望を感じました。そこへ今回の秘書逮捕です。政治資金の趣旨に反する行為が、『法律違反でないからかまわない』という弁明で国民の信頼を得られるのか、これも疑問です。法律的には問題ないが道義的には問題ありの行動を、次の総理を目指そうという方がとるのは受け入れられないでしょう。(中略)厳しい目を注ぐのは当然です」と述べる。

実はこの櫻井よしこの論旨がイメージ的なものなのである。つまり今回大久保秘書が逮捕され起訴までされたのは政治資金規正法違反の疑いというものであるのが、いつの間にか小沢一郎本人の全く別の不動産購入問題にすり替わっている。つまり今回の事件でイメージをどんどん膨らませていき、小沢一郎という政治家個人への中傷を行おうという仕掛けになっているのである。

だからか郷原信朗は櫻井よしこに対して反論する。「いや、私は小沢さんが正しいか否か、ということを言いたいのではないのです。検察は当初、会計責任者に対する『選任および監督』の過失を問うだけで、小沢さんを簡単に議員失職・公民権停止に追い込めると考えていた節さえあります。つまり、このような形式犯のために、政治が大きな影響を受けるのは危険だ、と思うのです。政治家個人のコンプライアンスの問題と今回の事件の検察捜査の特異さは、区別して考えるべきです」

これが正論である。今回の事件の何が問題なのかを見事に言い表している。そして検察の目論見をズバリと言い当てている。それはこの一ヶ月間、検察官僚による世論操作を注意深く見れば分かることなのだが、いわゆる『関係者によると』で始まる新聞記事やテレビ報道の全てが、小沢一郎を失職させることを目的になされた風説の流布であり、マスコミはそれら政治的意図のある噂をまき散らすだけの役目を担った組織に成り下がったという事実である。櫻井よしこはそのような風説に乗じて喋り、郷原信朗による正論によって打ち砕かれてしまうのである。

小沢一郎はもし政権交代をし、内閣組閣までやり遂げられれば、今回の風説の流布に対して厳しい態度で挑んでいただきたく思う。『関係者によると』と根拠の薄い風説をばらまいたマスコミ責任者を証人喚問し、関係者とは誰なのか暴いて欲しい。姿形の見えない者が風説をばらまき、その結果世論が操作されるのではまるで暗黒国家である。意見を言いたいのならこのような汚い手を使わず、議員となり国民の目で見える国会で行うのが議会制民主主義だろうと思う。