秘密警察或いは特高としての東京地検特捜部

3月3日に小沢民主党代表の公設第一秘書が逮捕され、24日に東京地検特捜部によって起訴された。起訴理由は政治資金規正法違反である。

もう一度この事件をおさらいしてみると、そもそも政治資金規正法というのは、政治家は企業から政治献金をもらってはいけない、でも政治団体からはもらってもかまわないという大前提によって成立している。

今回検察が目をつけたのはこの部分で、小沢一郎に政治献金をしたある政治団体が、実は西松建設というゼネコンが作った政治団体であるから、その献金企業献金であると解釈したのである。

逮捕された大久保秘書は、献金政治団体からきたものであるから、政治団体として記帳し法律に従って公開した。一方で検察は、たとえ政治団体からきたものであるとしても、その政治団体西松建設が作ったものであり、大久保秘書はそれを知っていたに違いないからこれは企業献金となり違法であると解釈した。

この解釈には相当の無理がある。なぜなら、結局の所、献金したのは政治団体であるからだ。検察もそれが分かっていて、だからこそ大久保秘書官に、その政治団体西松建設であると知っていた、と自白させたかったわけだ。その自白があれば、この政治団体は企業そのものであったと大久保秘書官が認識していたので、企業献金であったと解釈できるとふんだ。

しかし大久保秘書官はそのような自白をしなかった。東京地検特捜部が描いた画に乗ろうとはしなかった。これは特捜部としては目論見が狂った。だから本人の自白も証拠もないまま起訴を行った。ここまで世間を騒がせておいて、今更起訴を断念するとメンツ丸潰れだろう。

起訴されたのだから裁判になる。そしてこの裁判は検察の解釈に対する裁判となる。政治団体による献金企業献金と解釈することが適正か否か、というのが表向きの裁判理由なのだが、その行間には、検察の解釈のみで(証拠も自白もない)個人を犯罪者に貶めその人生を破壊してもよいのかどうかを判断する裁判でもある。これは人権裁判の趣を同時に備えているのである。

また、検察の解釈が裁判によって支持されれば、検察は自動的に秘密警察としての地位を手に入れることになる。或いは特高である。権力側の解釈だけで、人の人生や生活を破壊することが可能になると、それは明らかに独裁政権の誕生を促すことになる。日本の場合は官僚独裁政権である。

秘密警察や特高などとは大げさな、と言われるかも知れない。しかし、大久保秘書逮捕後、彼らがマスコミを使って、対小沢民主党に風評被害を与えようとしたことを忘れてはならない。彼らは自らを正当化させるためであれば手段を厭わない。

今回の事件を注視している人は予想外に多い。事件が始まってから現在まで、東京地検特捜部がどのように世論を誘導し、新聞やテレビをはじめとするジャーナリズムがどのような報道をしてきたか、研究を始める学者や本物のジャーナリストは相当数いる。その努力が結実するには暫く時間がかかるが、この嵐が過ぎ去った後学者や本物のジャーナリストが、その研究結果を基に冷徹な判断を下すことになるだろう。

現在民主党議員は右往左往し、支持者達は自信を失っているように見える。でも、まだ世論調査に於いて民主党中心の政権を期待する人々は、自民党中心の政権を期待する人々より遙かに多い。これほど大規模な情報操作が行われたに関わらず、である。また、参議院はでは民主党とその協力会派による過半数が維持されている。何も必要以上にしょげ返るべきではない。また自民党も良い政策を作ってそれを実行すれば必ず世論は味方になるだろう。民主党自民党も、今こそ本当の努力が必要なのだ。政治を霞ヶ関から国会に取り戻さねばならない。

日本国民は今回の大久保秘書逮捕起訴事件を厳しい目で見なければならないと思う。官僚独裁国家を許すかどうかが問われているのだ、と思う。