既に自民党は死んでいる。だから官僚が突出する。

このブログは政治のことを中心に書こうと作ったわけではないのだが、こうして大久保秘書逮捕事件が勃発し、すぐに静まるのかと思うとさらに偏向した報道が世間を一方向に煽り続けたおかげで、こちらの尻のあたりまでがムズムズとしてつい政治ネタを書き連ねる結果になってしまった。せっかくなのでもう少し政治ネタを続けるつもりである。

小泉政権が退陣して、そのあと安倍政権、福田政権と続いて、現在は麻生政権な訳だが、この間日本の国力は著しく減少した。GDPの減少はもちろん、都市部と地方に於ける収入格差は増大し、医療を含む福祉コストの国民一人あたりの負担は増えた。小泉政権が奨励した新自由主義によって台頭した経営学により労働者へ支払うべき賃金はあの手この手でカットされ、それは大量の失業や社会不安を招く結果となった。ほぼ同時期に米国で金融バブルが弾け日本国内の構造不況はいよいよ行き場が無くなったのである。

このように書くと難しく感じるかも知れないけれど、現実に今日本の国内でどのような風潮が蔓延しているかを考えれば思い当たることが多いかと思う。

例えば昨年8月に秋葉原で道行く人々をアーミーナイフで次々と殺傷していった秋葉原無差別連続殺傷事件はまだ記憶に新しい。またほんの数日前、岡山駅で刑務所に入りたかったからという理由で見ず知らずの人を線路に突き落とすという事件が発生した。コンビニ強盗は毎日のようのよう起こっているし、都市の電車に飛び込んで自殺する人々は後を絶たない。何せ一年間の交通事故死者数よりも年間自殺者の方が多い国である。

以上のような事件を発生した時点でのみ捉えると漠然と世の中が物騒になってきたという感想を持って終わりとなるのだが、こうして並べてみるとこれらは現在の社会に対する指導者無きテロなのではないかという気がしてくる。

起訴休職外務事務官である佐藤優氏の新刊書である「テロリズムの罠・左巻(角川ONEテーマ新書)」を読んだところなので多分に影響されているとは思うのだけれど、これらの事件は社会の弱体化が引き起こしたモノだと思う。実際にこれらの事件の犯人こそ捕まりはしているが、彼らが犯行に至った動機は未だ放置されたままである。その動機こそが社会不安であり社会の弱体化によって生じた訳だが、それを解決できるのは政治力でしかあり得ない。

ところが現在の政治はほぼ死んだに等しい状態なのである。ここ10年ほどのスパンで自民党政権が何を行ったのかよく考えてみればよいと思う。きっと何も思い浮かばない。あるのはちょっとした社会システムの変更に過ぎないだろう。例えば医療費が変更された。バスの運賃が変わった。銀行で新規口座を作る際に証明書が必要になった。アナログテレビが無くなるらしい。

一方で社会が改善されたという実感はあまりに少ない。そして実態は明らかに悪化しているのだろうと肌身で感じる。次々と起こる凶悪強盗や不況など、不安が蔓延しているのである。明らかに政治が機能していない証拠だろうと思う。

では日本に於いて何が機能しているのかというと、それは官僚制だろうと思う。日本という国を運営しているのは霞ヶ関官僚であり、政治家ではない。政権が短期で次々と変わっていっても社会システムに何ら影響を与えないのは政権が政治を主導していないからだと思う。

つまり、日本の社会システムの核には官僚がいて、その周りを政治家(自公政権)が取り囲んでいると考えればイメージしやすい。その政治家達の弱体化と劣化によって、取り込んだ壁が崩れだし、中心で守られていた官僚が剥き出しとなっている状態が現状の日本なのではないか。

民主党の公約として「官僚主導政治の打破」が挙げられている。これは極めて具体的な方法論を持って説明されていて、そのやり方はイギリスの議会政治を手本に考案されたモノだ。

旧大蔵省財務官であり現在は早稲田大学で教鞭を執る榊原英資(えいすけ)氏の著作である「政権交代文藝春秋)」では「強い内閣」というイメージがイギリスの議会政治システムを例に分かりやすく説明されている。

「強い内閣」では「内閣」の下に「官僚」がいる。「官僚」は「内閣」とのみ仕事を出来る。「内閣」は「与党議員」を持つのだが、「与党議員」はそ直接「官僚」とは仕事できない。全て「内閣」を通す義務が生じる。つまり「内閣」の頭を飛び越えて有力「与党議員」と「官僚」とが物事を決めてしまうことが無くなる。これは有力「与党議員」と「官僚」との間に蔓延っている陳情と根回しを断ち切る効果がある。これは内閣にいない政治家が出しゃばったり、長老支配が続いたり、官僚丸投げが止まないモデルの終焉である。

小沢民主党がこのシステムを取り入れると官僚の力は大きく減退する。

既に自民党は官僚にとって当てに出来ないほどその力を失ってしまっている。そして官僚は何とかして小沢民主党の力を削ごうとしているように見えるのである。官僚としては、民主党政権が出来るのは仕方ないが、自分たちの力や利権を温存したいと考えるのは当然の成り行きだろう。民主党の頭を獲っておいて、誰が主人であるのか思い知らせてやろうという意思表示である可能性がある。だから小沢党首を替えることは民主党が官僚に屈し、その敗北を意味するのである。

今回の大久保秘書逮捕事件は、そうした官僚の保身本能が起こしたように思う。