小沢有罪はあり得る

外交や国会答弁など菅内閣の惨めすぎる迷走ぶりにほとほと愛想を尽かしているのだが、18日(月)、東京第5検察審査会の起訴議決に対し、小沢一郎側が求めていた検察官弁護士の指定の仮差し止めなどが東京地裁で却下されたことには少し考えさせられた。検察審査会の二度に及ぶ起訴不当の議決をうけて、小沢一郎は訳の分からない容疑で起訴されることになった件である。

検察審査会の平均年齢を巡るいかがわしさや、最終議決書にある起訴事由に最初の議決にない容疑がいきなり付け加えられたりしていて、このままだと裁判自体が茶番に終わる可能性が高くなっている。

だから、小沢一郎が起訴されても有罪にならないだろうと専門家は言う。但し数年に及ぶとされる裁判で小沢一郎は手一杯となり、政権を目指す動きは封じられるだろう。その点で検察の勝利だろうという意見が多勢である。

どうしてこのような事態が起こるのか。

例えば「政治犯」というキーワードをこのカオスの中に放り込んでみると、瞬く間に散らばっていた塵芥が一カ所に収束し秩序を持ち始めることに気が付くのである。今回の小沢側の申し立てが東京地裁で却下された件は、小沢一郎政治犯である紛れもない証拠となる。

政治犯をウイキペディアで検索すると以下の説明が出てくる。

政治犯(せいじはん)とは、ある国の政治体制の中で「反政府的」とされる態度・言動をとったり、「反政府的」とみなされる組織をつくるなど革命運動・抵抗運動・反政府活動を展開したことが元で、政治的理由で逮捕状が出されていたり、刑務所・収容所などに収監されている者を指す。「思想犯(しそうはん)」とも言う。

郷原信郎弁護士が言うように、小沢一郎の容疑自体は最終的には帳簿に記載する年月日がずれていたという「期ズレ」であり、それが違法という判断自体が甚だ怪しいものなのである。何故ならば記載されていたからこそ「期ズレ」は起こる。記載する場所を今期とするか来期とするかの解釈の問題でしかなく、通常は修正を施せば済む問題であり、これを違法とするのは相当強引な法律解釈である。また記載はされているわけで、何かを隠滅しようとしたという論理も成り立たない。

しかし小沢一郎政治犯であるならば、そのような考え方は不毛である。よく言われるように何が何でも小沢一郎を潰したい権力というものがあって、その暴力装置が作動した場合、邪魔になる人物は情け容赦なく排除される。特定の人物を排除する理由は何でもよく、「期ズレ」でもよければ「エスカレーターで手鏡を持っていた」ということでもよい。このように権力から政治的に標的にされる人が政治犯となる。

有名な政治犯にはネルソン・マンデラアウンサンスーチーなどがいる。彼らは何も犯罪を犯してはいない。時の政権に邪魔だっただけである。これは小沢一郎にも当てはまるのである。

はてなキーワードでは「政治犯」について核心をついた解説をしている。

反政府活動や言論によって触法した犯罪者。
先進国では言論や結社の自由が保証されているため、政治犯の存在はあり得ない。
逆に言えば、どんなに経済的に発展していようが政治犯が存在する国家は先進国とは言えない。

小沢一郎にとって不利なのは、日本の場合マスコミらが権力側に阿(おもね)り、権力の言うことをホイホイと国民に伝えて由とする点である。日本のマスコミは太平洋戦争以前にも自らすすんで当時の政権の狗となり大本営発表を垂れ流した挙げ句、国民に多大な犠牲を強いた張本人なのだが、戦後その責任を追及されることがないよう上手く立ち回り生き長らえた。その事は政権と共有する既得権益を戦後もそのまま残す結果となり今に至るのである。

そんなマスコミは決して小沢一郎側の主張を報道しない。だからマスコミ報道ばかりを見ている国民に小沢が一体どういう政治家なのか伝わらない。小沢の著作を読んだり、マスコミ以外の場で情報を探したりする一部の能動的な国民以外には、小沢という政治家の姿は伝わらないのである。これが国民を熱狂させ復活を待望されたマンデラやスーチーとの一番の違いである。

だから小沢一郎は自ら発信しなくてはならないのである。しかしこの政治家ほどそれが下手な政治家はいない。ツイッターでも小沢事務所がアカウントを開いたかと思うと既に一月以上放置状態となっている。代表選が終わるとニコニコ動画にも出なくなった。忙しいのは分かるが、もうちょっと何とかするべきで、これは小沢側が責められても仕方ないだろう。

そして小沢一郎政治犯であるならば、失脚するまでとことん追いつめなければならないのが権力装置である。権力装置の存在はいずれ小沢逮捕となって立証されるだろう。今後小沢が自らを露出すればするほど小沢有罪の可能性は高まる。それは佐藤栄佐久鈴木宗男佐藤優植草一秀から、田中角栄藤波孝生江副浩正ら特捜に人生を潰された人々が辿った道でもある。

菅政権はどうしようもなく脆く崩壊寸前である。それならば小沢一郎は今後も政局の中心となっていくだろうし、それ故小沢一郎が有罪とされる確率はますます高くなるだろう。或いは有罪や逮捕よりもっと酷い結果が待ち受けているのかも知れない。どちらにせよ菅政権が弱体化すればするほど小沢有罪の可能性は日増しに高くなるのである。

今年の年末から来年の春にかけて、いよいよ菅政権の存続が危機を迎える頃、日本は危急を要する事態に巻き込まれる可能性が高い。その時こそが小沢一郎最後の勝負所になるかもしれない。こうしていまだに僕は小沢一郎に期待をしているのである。はてなキーワードにあったように、政治犯を生む国は先進国ではない。この国が先進国になるにはちょっとした革命が必要なのである。そう思えばこそ小沢に期待する。僕は小沢一郎は早すぎた革命家のように感じている。ちょっと出てくる時期がずれてしまった政治家であるが。

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