「帰りなん、いざ ー 小沢一郎君に与う」 平成9年3月3日 江藤淳

「帰りなん、いざ ー 小沢一郎君に与う」 平成9年3月3日 江藤淳

 新進党は、去る二月二十六日午後に開かれた両院議員懇談会で、七時間に及ぶ激論の末に、「小沢一郎党首の下で、党再建に向けて出発する」ことを確認したという。

 新聞でそのことを知ったとき、私は一面でホッとすると同時に、反面ある名状しがたい悲哀の念を覚えざるを得なかった。いや、両院議員懇談会の当日、テレビに映る小沢党首の憮然とした表情を眺めていたときから、私の胸中にはいたましさがつのった。

 新進党は、いや日本の政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“豪腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳の致す所というほかないのか。

 そこで、この際、私は小沢一郎君に一言したい。最大野党の党首であるこの大政治家に向かって、敢えて君呼ばわりするのは、私が小沢君より十歳の年長であり、たまたま同学の先輩として面識があるからである。更にまたそれは、福沢諭吉以来の慶應義塾の伝統に即してもいるからである。

 小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。

「君に問う なんぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏なり/菊を采る 東籬(とうリ)の下/悠然として南山を見る」と詠じた陶淵明は、実は単なる老壮の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は棄てらる」という悲憤を抱き、「日月、人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」という烈々たる想いを、少しも隠そうとはしていないからである。

 どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。

 過去五年間の日本の政治は、小沢対反小沢の呪縛のなかを、行きつ戻りつしてきたといっても過言ではない。小沢一郎が永田町を去れば、この不毛な構図はたちどころに解消するのである。野中広務亀井静香両氏のごとき、反小沢の急先鋒は、振り上げた拳の行きどころを失うのである。

 小沢一郎が永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだろうか? かならずしもそうとはいえない。そのときむしろ、無数の小・小沢が出現する可能性が開けると見るべきである。なぜなら、反小沢を唱えさえすれば能事足れるとしてきた徒輩が、今度は一人ひとり自分の構想を語らざるをえなくなるからである。

 沖縄は、防衛・外交は、財政再建は、憲法改正は? 小沢にはとてもついていけないといって烏合の衆を成していた連中が、、自分の頭で考え、自分の言葉で語りはじめれば、永田町は確実に変わる。変わらないかも知れないけれども、小沢一郎新進党の党首を辞め、議員バッジも外してさっさと故郷に帰ってしまえば、新進党はもとより自・社・さも民主党も、、皆一様に茫然自失せざるを得ない。

 その茫然自失のなかで、人々は悟るに違いない。過去五年間日本の政界を閉ざしていた暗雲の只中に、ポカリと一点の青空が現れたことを。党首の地位にも議席にも恋々とせず、信念を枉(ま)げず、理想を固く守って故山へ戻る政治家の心情の潔さを。小沢君、君は何もいう必要がない。ただ君の行動によって、その清々しさを示せばよい。

 大西郷以来、そういう出処進退を示し得た政治家が何人いただろうか。洋の東西を問わず、クリントンエリツィンもメージャーも、江沢民や金泳三も、一人の例外もなく「続投」に汲々としているだけではないか。

 陶淵明は、また詠じている。「幽蘭、前庭に生じ/薫りを含んで清風を待つ/清風 脱然として至らば/蕭艾(しょうがい)の中より別れたれん」。蘭がひっそりと花開き、薫りを含んで風を待っている。風がさっとひと吹きすれば、蘭と雑草の違いはすぐわかるのだ。

 水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客の水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。

 吉田茂以来、それだけの実力のある政治家が何人いたか。勝海舟はいっている。「みンな、敵がい々。みンな、敵になったから、これなら出来ます」(『海舟余波』)

 小沢君、君は「みンな」を敵にまわすことによって、君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の輿望(よぼう)をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。

今日の民主党代表選挙の結果を見て思い出したのがこの江藤淳の文章である。平成9年の文章なので状況は著しく変わってしまったが、このとき江藤淳が見た政治家は今も正しく政治家として僕たちの前にいる。今日の代表選では敗れはしたけれど、その内容は決して恥ずかしいものではなかった。逆にこの代表選によって嘗てないほどの支持者を得たのだと思う。

小沢一郎には江藤淳が書くように故山には帰らないで欲しい。もっとこれからも活躍して欲しいと願う。

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