民主代表選は菅が勝っても小沢が勝ってもマスメディアの負け

民主党代表選挙がいよいよ終盤となった。泣こうが喚こうが14日(火曜日)には決着が付く。既に党員・サポーター投票は打ち切られ、あとは国会議員の投票だけである。ここで何を言っても始まるまい。

今回の代表選は菅が続投するのか小沢が取って代わるのかといった興味とは別に時代の変化が垣間見える。代表選の喧噪に掻き消されそうになっているのだけれど、実は代表が決まることよりも重要なことかもしれないと思う。

それは世論調査の終焉であり、既存マスメディアの終焉でもある。

代表選での新聞やテレビなどのマスメディアの世論調査では菅支持が8割、小沢支持が2割といった数字である。しかしそれがネットの調査になると逆転し、菅支持が2割、小沢支持が8割になる。

この逆転からはいろんなことが予想されるのだが、確かなことは、従来のマスメディアはもうマスメディアではなくなったということだろう。

ネットで小沢支持を訴える人々の特徴はマスメディア報道を鵜呑みにしていないということである。連日のように小沢一郎を犯罪者扱いした報道を垂れ流したマスメディアに不信感を持った人がネットでの議論を見て共感し、小沢一郎再発見のきっかけとなった。

実際に去年の西松事件をきっかけに小沢一郎に興味を持った人は多くいる。僕もその一人である。マスコミのあまりの馬鹿騒ぎに辟易としネットなどを使って調べてみると、西松事件そのものが極めて政治的で怪しい事件で、小沢一郎やその周辺で彼を擁護する人々の意見の方が利が通っていたのである。

今や小沢一郎は多くの人々に再発見され、その潮流は本流を押し戻す勢いとなっている。そしてマスメディアの世論調査はそれを捕捉しきれていない。何故ならばマスメディアはネットに独自の報道世界があることを否定している。ネットを否定しないと自らの立ち位置が危うくなると警戒している。だからネットの世論を否定する。自らが否定する世界の世論を調査するメディアはない。

一方でネット側もマスメディアの世論調査を信用しない。あれは捏造だのスピンコントロールだのと思っているし、実際にそういう考え方をしないと腑に落ちない結果が多数ある。

従来のマスメディアはその縄張りをネットによって著しく浸食され、もうマスを名乗れない。一部メディアでしかなくなってしまった。一方でネットメディアは膨張を続けている。

だから既存マスメディアの世論調査結果は既存マスメディアにしがみついている人々の世論調査結果のみ、ネットの世論調査はネットで報道の多くを賄おうとする人々の世論調査結果のみが現れる。もはや日本にはマクロ的な世論調査結果は存在しない。それぞれのメディアがカバーする一部の調査結果の寄せ集めでしかない。

今回の民主党代表選でも政治評論家や菅支持の国会議員などは「世論調査結果によると小沢が総理になることを快く思っていない国民が多数いる」と言うのだが、もはやその世論調査結果自体が当てにならないものになってしまっている。それは最近の小沢の街頭演説の盛り上がりなどからも伺える。日本一の嫌われ者政治家の演説にしては群衆が熱狂しすぎるのだ。いくら小沢の演説に希少価値があろうとも、言葉の節々で拍手や歓声が起こるのは聴衆の共感のたまものだろう。それこそ政治家への支持である。

実際に今や菅と小沢の票数は拮抗しているという。菅8割支持などと言いながら両者は拮抗していると平気で言うところが既存マスコミの特徴でもある。何ともいい加減なものだが、このように修正しておかないとあとになって恥をかきそうということだろう。

この民主党代表選で何よりも得をしたのは小沢一郎である。勝つかどうかなどといったことより、未だ嘗てない広範囲な支持を獲得したのである。一方で既存マスメディアは新興ネットメディアの勃興が露わになったことにより、その存在自体が崖っぷちにあることが周知となった。

実のところ今回の代表選で菅が勝とうと小沢が勝とうとそう大きな違いはなかろうと思っている。菅だと来年春の予算案成立で行き詰まるだろう。菅が勝ってもそこまでの命である。小沢が出てくるのならそれからでも遅くはない。一方で既存メディアはどうするつもりなんだろう。こちらは首相が菅でも小沢でも衰退の道しか用意されていないのだけれど。

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