小沢一郎の頂上決戦を歓迎する

8月26日、民主党代表選挙に小沢一郎が立候補を表明した。僕はこの立候補を歓迎し是非とも代表そして総理大臣となって欲しいと思っている。

本来なら昨年の春頃まで民主党代表だった小沢一郎が、そのまま政権交代を成し遂げて総理大臣となる手筈だった。当時の自民党麻生政権はそれまで続いてきた自民党歴代政権のツケを払うのに手一杯で、素人目に見ても最初から最後まで立ち往生しているような印象だった。

そこへ民主党という新しい政党が、小沢一郎という核を抱き登場した。それまでひ弱で多少左巻きのように思われていた民主党が中道勢力として認識され始めたのである。そして既得権益者を守ることが経済の成長を促進するという小泉=竹中時代に始まった無茶苦茶な論理に振り回されていた人たちは、小沢一郎の「国民の生活が第一」路線に国の将来を託そうと考え始めていた。

一方で小沢一郎にだけは絶対に政権を作らせないと息巻く人々もいた。しかし彼らの目にも自民党の劣勢は明らかでいずれ政権交代は成されると映っていた。だから彼らは小沢一郎個人を標的にした。そして始まったのが例の西松事件であり、それ以後、大久保秘書の逮捕や、石川議員の逮捕といった暴挙に繋がっていく。また別側面から民主党を攻撃しようと郵政不正事件が作られ厚労省官僚の村木厚子さんまでもが逮捕されるという事態になった。

新聞やテレビはここぞとばかりに騒ぎに火を付け、小沢一郎を代表の座から追い落とすことに成功し、その勢いで政権交代を成し遂げ政権に付いた鳩山由紀夫をも失脚させたのである。

政局が騒々しくなると人々はマスコミ報道を求めるようになり、それによりマスコミは特需に沸いた。実のところは不況によりそれ以上に広告収入が落ち込んでいるので目立ちはしないが、政局がなければテレビの視聴率も奮わないし新聞や週刊誌も売れない。マスコミにとっては政局こそ飯の種となっていた。だから燃えさかる火に油を注ぐことは厭わない。日本の将来がどうなろうと、国益がどうであろうと、マスコミが欲しいものはまず目の前の利益である。

西松事件など一連の特捜部案件を起こした人たちやマスコミの人々は今回の小沢立候補に驚いたことだろう。彼らが仕掛けて煽ったおかげで小沢一郎は失脚したと思いこんでいたのである。代表戦では民主党内最大グループである小沢グループ菅直人に対抗馬をたてるだろうが、それは例えば樽床のような殆ど勝つことなど期待できないような候補者の出馬になると思っていた。まさか小沢一郎自らが立候補するだろうとは思っていなかったはずである。

なぜなら小沢一郎には検察審査会の二度目の決議が代表戦直後にあるという不安定要素さがあるからである。西松事件などに対して小沢一郎を起訴できなかった東京地検特捜部に対して、検察審査会が不起訴を不当であるとした結論を二度出せば小沢一郎は自動的に起訴されることになる。一度目は既に行われて不起訴不当であり今度は二度目である。しかし小沢一郎が総理大臣であれば、国務大臣に対しての起訴は総理大臣の許可が必要なので在任中は却下できる。だからマスコミは小沢一郎の代表戦立候補はこの特権が欲しいからだという魂胆がミエミエで党員からの理解を得られないだろうという。

しかし昨夜に公開されたビデオニュース・ドットコムにおける神保哲生と宮台真治による対談の中で、小沢総理誕生はこれらの諸問題を一気に片付けるあまりか世論をも小沢側に付けるウルトラCが実現できるとしている。

しかし、実は小沢氏には起訴逃れなどまったく必要としないウルトラCがある。代表選に出馬するとなれば、当然小沢氏は記者会見の場などで「もし代表選に勝ち、総理になった後で、検察審査会から二度目の起訴相当の議決が出た場合、総理として自身の起訴に同意するか」との質問が出るはずだ。そこで小沢氏が「総理になったらなどという仮定の質問には答えられない」のような従来の説明ベタ路線で答えてしまえば、全ては台無しになる。
しかし、そこで小沢氏が「同意する」と宣言したらどうなるだろうか。
元検事の郷原信郎氏も述べているが、小沢氏の政治資金規正法違反疑惑は、小沢氏逮捕に執念を燃やす東京地検特捜部が二度までも不起訴、つまり裁判で有罪にできる見込みが無いので起訴を断念した事件だ。つまり、実際に裁判になれば、有罪になる見込みは限りなくゼロに近いといっていい。
しかし、仮に有罪になる可能性がゼロに近かったとしても、小沢氏にとって、起訴され裁判で被告人席に座らせられることの政治的なリスクは絶大だった。自身の秘書だった石川知裕衆院議員が、起訴された段階で民主党を離党していることから、小沢氏も起訴されれば離党を余儀なくされる可能性も高かった。
ところが、総理になり、実際は自分の権限で起訴を逃れることが可能になった時に、あえて自ら進んで起訴を受け入れ、被告人になる道を選択したらどうなるだろうか。元々小沢氏にとって、裁判そのものは怖くない。ただ、裁判で被告人席に座らせられることの政治的なコストが最大のリスクだった。それを自ら進んで被告人席に座る道を選択した瞬間に、そのリスクは雲散霧消するばかりか、もしかするとそれが何倍にもメリットとなって返ってくる可能性さえあるかもしれない。

最後にある小沢側のメリットとは何かというと、仮にも一国の総理大臣が在任中に検察により起訴されるのであるから、その裁判が注目される度合いは一議員の起訴どころではなく、もはや世界が注目する裁判となる。それは裁判自体が開かれた裁判にならざるを得ず、その進捗過程は否応なくオープンにされていくだろう。その中で、東京地検特捜部のこれまでの捜査のやり口や集めた証拠や証言などが世界中に晒されてしまうことになる。

郷原信郎氏の言うとおり、東京地検特捜部が起訴を断念したものを蒸し返す裁判であり、小沢一郎にとっては有罪の証拠がないことを証明する裁判となるわけである。東京地検特捜部は自らの無能を天下に晒し、小沢がその気になれば組織自体を解体することも可能となるだろう。また今まで地検のリークに便乗してひたすら世論を煽ってきたマスゴミ連中も自らの無能を世界に晒すことになるだろう。これも小沢がその気になれば相当の粛正が可能となるだろう。クロスメディア・オーナーシップ規制どころではすまないのではないだろうか。

小沢政権が出来た後は、小沢がずっと唱え続けてきた2009年度のマニュフェストに政権の全精力を注ぐことになるだろう。その中には取り調べの可視化や八ッ場ダムの建設中止などは勿論、企業献金の全面禁止も盛り込まれることになる。これは自民党の完全な死を意味することになるだろう。記者クラブは無視され会見は解放される。そして対等な日米関係に向けて沖縄の普天間基地移設問題ももう一度議論となる。一度鳩山で失敗しているので、小沢には少なくともどうすれば失敗するのかという情報はある。

こうして並べて書いたときの高揚感は一度体験したものである。それは昨年の政権交代の時の高揚感と同じだ。鳩山由紀夫が総理大臣となって、やがてその昂ぶった気持ちはどんよりとした失望感に変わっていってしまったのだが、今こうして仕切り直してリスタートするチャンスがやってきた。しかも小沢内閣というものがもし出来れば、それは世論の支持率などまるで気にとめない政権であろう。ベースとなる2009年度マニュフェストさえ実行できていれば世論の支持率など気にせず次の選挙までそのまま安定運行できるかもしれない。

僕は菅政権には期待を裏切られたし、反小沢七奉行などといって息巻いている政治家達をまるで信用していない。同じ政党の中で、しかも代表職にあるリーダーが特捜部などに理不尽な攻撃を受けているときに背中から撃つようなマネをする人間を信用しない。そのような人間に日本の将来を託そうとは思わない。菅政権は彼ら七奉行の政権でもある。一刻も早くなくなって欲しい。

だから小沢一郎民主党代表選挙立候補を大いに歓迎する。そしてこれが頂上作戦となり、本当に日本を従米隷属の状態から世界標準の独立国にして欲しいと思う。

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