GM破綻と阿久根市市長再選と新潮流

昨年のサブプライム・ローンの破綻による金融恐慌以降、米国政府はバンカメ等金融機関に巨額の資本注入を行ったと思ったら、いよいよクライスラー、そしてGMの破綻が表面化し、米連邦破産法11条の適用が決まったという。これは日本でいう民事再生法であり、今後この両社は国有化され再建を目指すことになる。

クライスラーGMといったアメリカ華やかなりし頃の象徴的企業の破綻には感慨深いものがあるが、感慨とは個人的な記憶によるものであり、現実としては市場にそぐわない企業が淘汰されただけのことである。

“Too Big to Fail”などと言って、巨大すぎて潰せないなどという理屈は、橋本内閣時代、金融機関に巨額の税金投入をした護送船団方式と同じで、その後の日本の金融機関を見れば分かるとおり、立ち直りはするが問題点はそのままということになるのだろうと思う。

アメリカの自動車会社がどうなろうと知ったことではないのだが、ここで感慨を持つとすれば米連邦破産法11条による国有化という点である。民主主義という美麗字句の元で世界中で資本主義を推し進めた総本山アメリカの代表的企業が国有化となった。

破綻に対して米国政府の執った処置が社会主義的手法だった、というあたりがクライスラーGM破綻に於ける教訓だろう。ここに世界的な潮流が根本的に変化したことを感じるのである。

ソヴィエト連邦が崩壊して以降、左右の対立は意味をなさなくなった。社会主義は崩壊して、資本が世界を席捲した。中国にしたって社会主義のフリをしてはいるが、実態は管理された資本主義である。もはや誰も共産革命など信奉していない。社会主義革命は死滅したのである。

歯止めがきかなくなったアメリカの資本信仰はクリントン時代に搾取のシステムが整えられ、次のブッシュは戦争まで起こしてそれを大いに利用した。着地点のない金融証券が売り買いされ、そこから膨大な利益を搾取した連中がいた。しかし結局着地点がないことに変わりなく、最終的には誰がババを引くか、というゲームでしかなかったのである。

このゲームの代表的なプレイヤーはチェイニー、ラムズフェルドといった新自由主義を掲げる人々で、日本では小泉、竹中、中川秀直あたりに繋がる。一方で、新社会主義とも言える新しい潮流はまだ見えてきていない。オバマはそうなのかも知れないし、そうでないのかも知れない。まだ判断材料が乏しいのである。

一方、日本に於ける新しい潮流は、先日の鹿児島県阿久根市の市長選でみることが出来たんじゃないかと思う。

阿久根市の平均的な年収モデルが200万円程度なのに対して、市職員の平均的な年収モデルが700万円程であったという事実を公表した現職の市長に対して、今年の2月に不信任案が可決され市議会解散選挙を行い、その2ヶ月後の4月にまたもや不信任案が可決され今度は市長自身が辞任し出直し選挙を行った。

この竹原という市長は市議会議員の不人気投票を行ったり、何かと話題を作ったのだが、その手法は議員や公務員といったもはや特権階級と呼ばれても仕方のない人々へのパージが特徴であろう。大阪の橋下知事と似たような手法に感じるが、より本格派である。ポピュリズムではあるけれど、ポピュリズムで退治せねばならない程、問題は大きかったと言える。

真面目に働いている人たちが報われない社会は、日本でも小泉竹中改革以降よく目につくようになった。一部の人間が大儲けする一方、マジョリティである労働者は搾取され収入が低くなっているのである。これは社会不安を併発し、それが現在の日本の状態である。

この構造はサブプライム・ローン破綻以降のアメリカの問題と実はよく似ている。日本では金融破綻ではなく、特権的公務員階級と民間との格差が膨張し破綻する。高級官僚から地方公務員まで、一般労働者との乖離がますます激しくなるのである。やがてそれは膨張して破裂することになる。阿久根市市長選はこの破裂の一端である。

民主党の管代表代行が6日から11日までイギリスへ議会視察に行く予定である。イギリスでは省庁のトップに国会議員が多数大臣副大臣職などで入り込むので、日本のようにキャリア官僚による立法や行政の独占が行われづらい。地方では市長が、国会ではこのような動きが、日本の新しい潮流を作るのだろうと思うのである。