時代の潮流は明らかに変化しつつある

風邪を引いて熱が出て熱が下がって暫くするとまた熱が出て、という繰り返しをこの十日ほど続けた。インフルエンザなどではなくただの風邪にすぎず、発熱といっても大それたものでもないというのに、やはりブログの更新は後回しになってしまう。

しかしブログの更新をせずにただ世間に起こることをそのまま見つめていると、世界には明らかに新しい潮の流れがあり、特に腐敗の激しいところから雪崩を打って崩壊が始まっているのがよく見える。よく分かる。

ハッキリと見えるのは例えばチェニジアエジプトで起こった市民革命のようなものだ。これらはまだ現在進行形であり今後どのような展開を見せるのか分からない。だから現時点でチェニジア市民が悪政を倒したとか、エジプトに於ける市民革命が成功しつつあるなどと軽々しくは言えない。しかしウイキリークスのようなネットメディアがこれら市民運動の切っ掛けとなったことは事実であり、ここで言う新しい潮の流れはネットの存在を抜きに語ることは出来ない。

日本ではこうしたネットからの新しい流れはまだまだ一般的ではない。しかし総務省記者クラブのフリーランスジャーナリストに対する執拗な嫌がらせや、ネットメディアに次々と出演する小沢一郎に対する誹謗中傷などを見ると、こうした既得権益側のメディアは世界の潮流がどのような流れ方になりつつあるのかまるで無自覚である。

これらはメディア側だけではなく政府も同様で、東京都による青少年健全育成条例や国会で審議されるコンピューター監視法案などを見ても分かるように、既得権益側は相変わらず自分たちに都合の良い社会の構築に向けて意気軒昂である。こうした旧勢力は現在も権力側にいるので市民側からその綻びは見辛いのだけれど、旧勢力はあまりに現在の世界の潮流に逆らっているのでやがては淘汰されることになるだろう。

この旧勢力とは何かといえば、それは官僚と財界と米国の新自由主義勢力のことであり、それらの下僕となり嘘や捏造報道を繰り返すマスメディア連合のことである。端的に言うと、こうした勢力が動脈硬直を起こしているのが今の日本の現状な訳だ。そして彼らが今もまだ司令室を占拠しているので日本は迷走している。

こうした迷惑な旧勢力を排除するためには社会の根本からの変革が必要になる。なぜなら、今日本人が社会と信じているものは彼らそのものなのである。これは政権を替えるなどといった小さなことではすまされないほど大きな問題である。社会という大きな構造の、国ー企業ー家庭といったバランスの修復が必要となる。従来これらの関係は明確な序列の下に行われてきたのだが、これらが世界の潮流の中ではイコールで結ばれ序列がなくなるのである。だから国=企業=家庭はそれぞれが頂点となった三角形で表示されるのが正しく、その中間には「場」が設けられお互いの交流が活発になる。

それでも日本はまだ上手くいっているのだから、そのような変革は必要ないという人がいる。しかし以下のグラフを見ると、そうした意見そのものが捏造であることが分かるだろう。下のグラフは直近の20年間における主要国のGDPの変化であり公表された資料である。

まず気付くべきは、

(1)主要国のGDPは増加している。
(2)日本のGDPは横ばいである。

の2点である。とてもシンプルなので間違いようがないだろう。

このグラフの中での日本は横ばい、つまりそれは立ち止まっていることを示しているのだが、しかし世界経済は膨張しているので、立ち止まっていることは後退していることに相応する。国内経済ばかりを見ている多数の評論家達の最も大きな間違いはこの点にあり、前年比x%の上下ばかりを挙げて経済を説明しようとする。しかし経済とは国内だけの問題ではない。自国の経済の成長率を、自国の過去の数字と照らし合わせることに大きな意味などないのである。

よく「中国にGDPで抜かれた」などと悔しがる輩がいるが、実際は「日本が成長していない(後退している)」のが原因であり、中国は世界経済の膨張と共に歩んでいるだけの話である。日本の現状を表す最も適切な言葉は「衰退」だろう。これは「衰退」と何かを示す例としても使えるほどピッタリな例である。

日本は貿易立国であり特に世界経済と共に歩むことを運命付けられている国家なのだが、それがこの為体であることにもっと危機感を持たねばならない。どうして日本はこれほどまでに世界の潮流から取り残されているのか、その原因を分析し対策を練り実行しなければならないことは明白である。

こうなった原因というものはある程度ハッキリとしている。日本の成長を抑えてきた権力というものが存在するということだ。それが先ほどの旧勢力であり、官僚、財界、米国の新自由保守主義勢力、彼らのケツを舐めるマスゴミらが代表する既得権益側のことである。

2009年に民主党自民党を打ち破って政権交代を果たしたのは、こうした旧勢力の代表の一つであった自民党という老醜を排除したことにしか過ぎず、その他の旧勢力はまだ温存されたままなのである。民主党はそれらを排除するべきであり、2009年のマニュフェストが実行されれば旧勢力側の利権をかなり掃除できるはずだった。しかし結果は菅政権の迷走を見るまでもなく分かることで、旧勢力は息を吹き返し一気に反撃に出ている。

残念なことにせっかく政権交代というリスクをとったのに有権者が享受出来た果実はあまりに小さい。しかし、一旦世界から日本をみると、現状の国家衰退は何の手立てもないままでは更に悪化を招き、菅政権や自民党に代表されるような旧勢力の権化には手のうちようがないことも分かるだろう。そのためには社会構造の変化まで含めた大胆な改革が必要とされるのである。

昨日「日本自由報道記者クラブ協会(自由報道協会)・仮称」にて小沢一郎が会見を開いた。記者クラブメディアについて訊かれた小沢が「そんなもの意味がない」と言い、「何が本当に起こっているのか市民の側もメディアを選んでよく見なければならない」といった内容の返答をしていたことがとても印象に残った。僕はその言葉に賛同する。しかし付け加えなければならないのは、そのためには市民も勇気が必要だろうということである。チェニジアやエジプトの市民が見せた勇気が日本人にも必要とされているのである。

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