検察審議会の小沢一郎起訴相当議決は特捜の断末魔の叫びでもある

昨年突如として始まった西松事件からの小沢一郎に対する東京地検特捜部の捜査は、遂に検察審査会による二度の起訴議決による強制起訴として決着した。

小沢一郎・元民主党代表(68)の資金管理団体陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会は4日、小沢氏を起訴すべきだとする「起訴議決」をしたと公表した。(Yomiuri Online)

これは予想されていた結末であり、今さら驚いたり憤ったりする必要のないものである。そしてこの強制起訴による裁判によって小沢一郎が有罪となる可能性も実はほとんどない。この約2年近くの期間、東京地検特捜部が莫大な予算と人員を投入した結果不起訴とした案件である。今さら小沢一郎を裁判で有罪に落とし込むことの出来る新証拠や新証人など出てくることもないだろう。ましてや大阪地検特捜部の失態によって特捜部の捜査自体へ嫌疑がかけられている状況である。この状態で小沢一郎を有罪にすること事態無理がある。

但し、これは司法がまともに機能した場合の話である。日本の司法は極めて政治的な組織であって、法に照らし合わせて判断をせず、法をねじ曲げ国体の保持を行ったことが多々ある。それが特捜案件の有罪率99パーセントという数字となって表れている。つまり日本に司法、裁判所など存在しないと言える。あるのは検察まででその上はお飾りである。検察が身柄を拘束しマスゴミが検察リーク報道を連日行い、集団リンチと同じ状態を被疑者に受けさせることがこの国の実質的な裁判である。

しかしそのお飾りの司法でさえ、今回は小沢一郎を有罪にするのは難しいだろう。何せ新証拠も新証人もなく特捜は捏造の逆風に曝されている。だから司法に出来るのは裁判の引き延ばしぐらいである。小沢一郎を貶めたい連中にとっては、小沢一郎が有罪であろうとなかろうとどうでも良い。小沢の政治権力がなくなれば目的は達成される。この裁判が長引いて、小沢一郎を無理矢理裁判に傾注させれば、その間の小沢一郎の政治力を削ぐことが出来る。

注目は司法がこの裁判をどのように扱うのか、である。不祥事続きの特捜に迎合するのかどうかがポイントとなる。いっそのこと、証拠不十分として起訴を却下してしまえば司法はこの政治的な権力闘争から距離を置くことが出来るのだが、首までどっぷりと政治権力に浸かっている日本の司法にそのような度胸があるのかどうか疑問である。

たかだか不動産登記の期ズレで、しかもそれが帳簿にきちんと記帳されているというどこが事件なのかもわからないほどの「西松=陸山会大事件」で小沢一郎を裁く裁判とは実は裁判などではなく、極めて歪な政治権力ショーである。参考に直近のショーの流れを書き連ねてみよう。

9/1 民主党代表選始まる。
9/8 鈴木宗男氏上告棄却。
9/10 村木厚子氏無罪判決。
9/14 民主党代表選開票・第5検察審査会議決。
9/21 前田検事逮捕。
9/24 尖閣諸島沖で逮捕された中国船船長を那覇地検が釈放。
10/1 大阪地検特捜部長・副部長逮捕。
10/4 小沢氏強制起訴公表。

これを見ると、現在、検察がどれほど政治にちょっかいを出しているかが分かるだろう。民主党代表選で小沢人気が巻き起こると鈴木宗男の上告棄却がなされ、村木厚子氏の冤罪がはっきりし特捜への批判が高まり、尖閣諸島沖で逮捕した中国船船長釈放で世論の猛反発を浴びると小沢一郎の強制起訴が公表される。案の定今朝のマスゴミは対中問題も村木問題もなかったことになったようで、小沢強制起訴一色である。

さて、上記の表の中で特に異常なのは9月14日で、この日は民主党代表選挙の最終投票日であり、即日開票が行われ新代表が決まる日でもあった。そしてその日に、実は昨日発表された小沢一郎への起訴議決が決定していたのである。これを偶然だという人はこのブログを読まなくてもよろしい。つける薬はない。

どうしてこの日に検審の議決を出さなければならなかったのか考えると、それは小沢一郎が万一代表に選ばれた時に切り札として出す腹づもりだったろうと考えられる。小沢一郎が代表になった途端に検審の議決を出してスキャンダルを作り政権を揺さぶる。極めてシンプルなことだ。「西松=陸山会事件」というのは斯様に最初から政治権力ショーだった。

一方で、村木厚子氏への無罪判決以降、検察は窮地に立たされていた。特捜検事が証拠を捏造して無実の人を無理矢理犯罪者に仕立て上げようとしたのだから当然である。検察はこれを前田検事の個人的な犯罪として処理しようとしたが、それでは収まるわけもなく上司の部長と副部長をも逮捕した。村木厚子氏への冤罪責任は検察組織全体にあるのだが、組織への追及をかわすためになりふり構わずよく働いた検察官を人身御供として差し出したのである。

しかしそれでも世論の沸騰は収まらない。というわけで小沢カードを切ったとも言える。小沢一郎への強制起訴発表は本来月末あたりの予定だったと言われていた。とりあえず目の前の危機を回避したい一心で苦し紛れの検審議決の前倒し発表だったのかも知れない。しかし、これは特捜に対する世論の逆風を一時的に弱めることは出来たかもしれないが、結果的に特捜にとって有利な状況を作り得たとはいえないのである。それはなぜか。

よく考えてみると、昨年の西松事件以降、小沢一郎は何度も特捜の餌食にされ、秘書や側近議員の逮捕にまで至っていたわけである。その間のマスゴミの小沢バッシングは凄まじく、普通の議員ならあっけなく撃沈していてもおかしくない状態が続いた。しかし、これが小沢一郎の凄いところなのだが、何度もパンチを浴びてダウンをとられながらもその都度起き上がりファイティングポーズをとり続けたのである。その姿はやがて小沢一郎にある種のカリスマを与えることとなった。その頂点の姿が先日の代表選での立会演説における「小沢コール」である。

一方の特捜部は何度もダウンを奪いながら実は自分の拳を傷つけてきた。証拠を捏造し、無実の者を逮捕監禁し、恫喝により都合の良い証言をさせてきたことがばれた。その挙句が先日の村木厚子氏への無罪判決である。つまり、検察は小沢を打てば打つほど自らを危うくしてきたのである。

今度の検審の議決も検察にとっては自らを傷つける結果になる可能がある。元特捜部の弁護士である郷原信郎氏はツイッターで下記の発言をしている。

昨日の段階では、議決書の冒頭の被疑事実(不動産取得時期、代金支払時期の期ズレだけ)が、当然、そのまま起訴すべき犯罪事実になっていると思っていたが、よく見ると、添付されている別紙犯罪事実には、検察の不起訴処分の対象になっていない収入面の虚偽記入の事実が含まれている。8:26am

検察の公訴権独占の例外として検察審査会議決による起訴強制が認められている趣旨に照らして、不起訴処分の対象事実を逸脱した被疑事実で起訴相当議決を行うことは許されない。今回の起訴相当議決は無効であり、強制起訴手続をとることはできない。8:28am

これは司法が公正にこの裁判を取り扱おうとするのであれば見過ごせない問題点であり、郷原氏の言うように起訴自体が無効となる可能性がある。一方で、こうした疑問点を考慮せず裁判に突き進めば、明らかに司法は検察と現状の権力側に与すると意思表示したことになる。

検審の議決書にどうしてこのような初歩的なミスが紛れ込んだのか定かではないが、明らかに検察の足元がふらついている証拠といえよう。ここでも小沢を打てば打つほど自らが弱まるという法則が当て嵌まっているのである。

特捜はいずれは自分の置かれた状況を冷静に分析し、それを自らの身体に取り入れることになるだろうと思う。このままでは特捜自体が危ないことに気が付き修正を施すだろう。何せ、自らの保身のためにはありとあらゆる努力を厭わない組織である。小沢を打てば自らにその反作用が及ぶとなればやがてリングから去るだろう。司法が検審による起訴議決を受けて裁判を始める決定を下せば、特捜はこれまでの証拠のすべてを提出せざるを得ず、それこそ特捜部にとっては悪夢の頂点となる。提出した証拠が果たして一人の政治家を葬り去るに値するものであったか、その根拠が問われるからである。

特捜の意思は既に小沢一郎を3度も「不起訴」としたことに表れている。つまり特捜は、小沢一郎を起訴することは自身にとって危険であることが分かっている。検審の議決に対しても「余計なことしやがって」という見方をしているに違いない。退却の術を忘れたプライドの高さがこの事態を招いたわけで自業自得である。庶民はこういう場合「ざまーみろ」と叫ぶ。今こそ特捜に対して「ざまーみろ」と叫ぶ頃合いである。

この小沢裁判が本当に行われようと行われまいと、もはや特捜に勝ち目はなく小沢の勝訴は目に見えている。ただし小沢の政治力は大幅に削がれるかもしれない。しかしながら、こうした政治闘争の裏側に隠れている本当に汚い輩も、防波堤となるべき特捜の撤退によりいよいよ自らの姿を曝さねばならなくなるだろう。分厚いカーテンの裏側に座っている者の正体を暴くことが政権交代の本当の役割である。そしてそれに一歩づつ近づきつつあるというのが僕の見方である。

この裁判で小沢はまたもや起き上がってファイティングポーズをとるだろう。そしてますますカリスマに近づいていくだろう。小沢一郎はまだ権力を手中にしてはいないがもう一歩のところにまで来ている。一方で特捜は死に体である。小沢強制起訴で喜んでいるテレビコメンタリーどもこそいずれいい面の皮となろう。